日本大百科全書(ニッポニカ) 「張り子の虎」の意味・わかりやすい解説
張り子の虎
はりこのとら
張り子製玩具(がんぐ)。首は別につくって糸で胴につけてあり、少しの振動でも首を左右に振る仕掛けになっている。首振り虎ともいう。異国の猛獣の虎が玩具化されたのは江戸時代で、1687年(貞享4)刊の『男色大鑑(なんしょくおおかがみ)』(井原西鶴(さいかく)著)に、「道頓堀(どうとんぼり)の心斎橋に人形屋の新六と言へる人、手細工に獅子笛(ししぶえ)あるいは張貫(はりぬき)の虎、またはふんどしなしの赤鬼太鼓ももたぬ安神鳴、これみな童子たらしの様に拵(こしら)へ」とあり、当時すでに張貫(張り子)製の子供向きの虎玩具が売られていたことを記している。また1772年(安永1)刊の玩具絵本『江都二色(えどにしき)』(北尾重政(しげまさ)画)にも、「張子のとら」の図が描かれて、「雲おとす竜はあたりにいぬけれと張子のとらの風にうそふく」の歌が添えてあり、江戸時代を通じて愛玩されていたことが知られる。
その発生は虎王崇拝の中国の影響を受けているが、毘沙門天(びしゃもんてん)信仰にちなんだ宗教的な結び付きや、干支(えと)に関する民間習俗、尚武と子供の健康を祈る縁起から端午の節供飾りなどにも用いられ、さまざまな虎の玩具がつくられた。ことに加藤清正虎退治や、歌舞伎(かぶき)の『国性爺(こくせんや)合戦』の主人公和藤内(わとうない)が大神宮の御祓(おはらい)を振り上げて虎を踏まえた物語などが迎えられた。それにちなんだ節供人形も各地にみられる。張り子製の首振り虎は猛獣をユーモラスに玩具化した着想、形態がことに優れ、虎を台車に乗せて引いて遊べる虎車もある。第二次世界大戦中は、「虎は千里行って千里帰る」という縁起から、出征兵士のマスコットとなった。戦後は郷土玩具として全国各地でつくられている。出雲(いずも)市(島根県)産の首振り虎が、1962年(昭和37)寅(とら)年の年賀切手の図案に登場した。
[斎藤良輔]