翻訳|subjectivity
主体性ということばは,通常,自主性,個性,アイデンティティ,自己実現,自己決定,本来性authenticityなどとほぼ同義に用いられている。これらのことばに共通する含意は,個人あるいは集団が,外的・内的諸条件によって,当然〈あるべき自己〉であることを妨げられている状態を克服して,認識のレベルでも行動のレベルでも,本来的な〈自己になる〉ということである。したがって,このような解放的認識関心に根ざすこのことばが,人間解放運動とのかかわりのなかで用いられてきているのも不思議ではない。ところで,これまでの主体性論議において大きな争点の一つになっているのは,人間解放を進めるに当たって,個人的主体性を確立するのが先か,それとも集団的主体性を確立するのが先か,という問題である。通常,〈人間革命〉か,〈社会革命〉かということばで語られている問題は,この争点の一つの変種とみなしてよい。〈文化革命〉か〈政治革命〉かも同様である。
こういう意味での主体性問題に最初に脚光を浴びせたのは,1920年代のいわゆる西欧マルクス主義者,とりわけ,ルカーチ,コルシュ,グラムシらのヘーゲル派マルクス主義者であった。彼らの意図は,資本主義と民主主義の未発達によって農民を主力とせざるをえなかったロシア革命の経験を結晶化させたレーニン・モデルを退けて,高度資本主義と代議制民主主義の発達のもとに比較的成熟した意識をもつ西欧のプロレタリアートを主軸にした独自の革命モデルを構想することであった。そのために,彼らはレーニン・モデルに内在する経済的決定論と政治的主意主義,つまり“ゴリゴリの客観主義”と“ズブズブの主観主義”に陥る両要素を退けて,変革主体たる西欧プロレタリアートを〈自覚的主体〉に鍛えあげるための文化や意識の次元における闘いの重要性を強調した。そして,その組織の中心として選んだのが労働者評議会であるが,それは中央集権化され,官僚制化された前衛党とは違い,地方分権や自主管理(労働者管理)を尊重する自立した組織であるとともに,階級意識が陶冶(とうや)される場でもあった。したがって,西欧マルクス主義の革命モデルは,集合的主体性の確立過程が同時に個人的主体性をも確立させるものであり,前者の努力を欠くと,個人的主体性はそれ自体虚偽意識にすぎないブルジョア的個性にとどまるという論理構成をとっていた。評議会運動(レーテ運動)敗北後の歴史は,彼らの主張の正しさを示してきている。
同様の論理の道筋を解放運動のなかで提示したのが,1960年代アメリカにおける黒人解放運動である。当時,黒人は伝統的な民族文化ethnicityを放棄して支配的な白人文化への同化が強いられる差別状況のもとで,ひどい無力感と受動性のとりこになり,ひとしく自己アイデンティティを喪失した状態にあった。そこに出現したのが,M.L.キング師の唱える〈敵に対して抗議し,味方と連帯する〉(against and with)という運動方針であった。この呼びかけに呼応する形で現れたのが,〈自己の運命と状況について定義する権利は私にある〉ということを主張する〈ブラック・パワー〉運動であった。その結果,これまで消去の対象でしかなかった民族文化がふたたび一体化の対象として復権され,そのなかで個々の黒人が誇りをもってその身元を明かし,存在証明を実感することが可能になった。この〈ブラック・パワー〉運動が教えてくれたことは二つある。一つは人間の無制限な順応性や可塑性を前提にした従来の人間発展モデルは不適切であり,人間とは〈自立と統合に向かっての内的潜勢力〉を備えた存在としてとらえられねばならぬということである。もう一つは,葛藤や紛争をもって病理現象ときめつける秩序モデルは偏向しており,危機や矛盾をはらむ状況においては,それらが成長や発展の契機として機能することを理解せねばならぬということである。
黒人解放運動の強い影響を受けたアメリカの新左翼も,初期段階では,〈詩人の魂〉と名づけた〈人間革命〉路線における個人的主体性の確立と,〈工作者の魂〉と呼んだ〈社会革命〉路線における集団的主体性の確立の同時達成をめざす方向で運動を続け,その根拠地としてのコミューンや解放空間の建設に努力した。しかし,体制側の抑圧が強化されるに及び,二つは分裂し,前者は意識高揚やライフスタイルを追求する新宗教運動,潜在的可能性開発運動,ヒッピー運動になり,後者は〈客観性の政治〉と呼ばれる既成左翼運動に傾斜していった。そういう状況下にあって,一部に,両者を統合した路線を継承しているものもあるが,現状では少数にとどまっている。しかし,個人と集団の主体性は,そうした少数の運動,すなわちエコロジー運動,草の根住民運動,代替(オルタナティブ)テクノロジー運動,自主管理運動のなかでしか確立されないのではなかろうか。
→西洋哲学
執筆者:高橋 徹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
主観ないし主体と訳されるSubjektのもつ性格の意味。サブジェクトはもともと「下に置かれたもの」、すなわち性質や働きの担い手を意味していた。その点で、現在用いられている客体や基体と同義であった。その意味が逆転したのは、中世風の他律的なものから解放され、認識や道徳の原理が人間知性のなかに存するとした近世的人間の自主性の自覚から始まったと解せられる。とくにカントは、認識作用において主観が客観を構成するという超越論的主観性を主張した。ここでは主体性よりむしろ主観性という意味が強いが、ヘーゲルが「真なるものは主体である」と絶対的主体性を主張するとき、それは共同存在、すなわち精神の生命的運動の原理として存在論的意味をもってくる。さらにヘーゲルの普遍主義を否定し、状況に束縛されつつ生きる具体的個人を問題にし、キルケゴールが決断によって真の自己を回復する宗教的実存を、あるいはマルクスが社会的実践を行う人間の能動性を主体性とよぶとき、自らの生きている場において、既成の権威や思想に頼らず自覚的に決断し行為するという現代的意味が確立した。日本で主観と主体との差異を明確にしたのは三木清(みききよし)であるといわれている。主観が知識の次元で客観と対立的に用いられるのに対して、主体は行為の立場にあり、それに対立するのはやはり主体にほかならない。戦後、日本では、文学者や哲学者の間で主体性論争が闘わされた。
[海老澤善一]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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