日本歴史地名大系 「後志国」の解説 後志国しりべしのくに 北海道:北海道後志国明治二年(一八六九)八月一五日に設置。「久遠(くどう)・奥尻(おくしり)・太櫓(ふとろ)・瀬棚(せたな)・島牧(しままき)・寿都(すつヽ) ・歌棄(うたすつ)・磯谷(いそや)・岩内(いわない)・古宇(ふるう)・積丹(しやこたん)・美国(びくに)・古平(ふるひら)・余市(よいち)・忍路(おしよろ)・高島(たかしま)・小樽(おたる)」の一七郡からなる(公文録)。旧西蝦夷地のシマコマキ場所・ヲタルナイ場所など一九場所にわたる地域。北海道の南西部に位置し、現在の後志支庁管内の全域、および檜山支庁の北東部三郡を併せた地域に相当する。南西部は渡島国、南部は胆振国、東部は石狩国に接し、北部側は日本海に臨む。国名の選定にあたり蝦夷開拓御用掛松浦武四郎は、この地域は中央部にそびえる磯谷領シリヘツ川の源「後方羊蹄」(後方羊蹄山・羊蹄山、蝦夷富士)にちなんで「後志(しりへし)」がふさわしいとし、「日本書紀」斉明天皇五年(六五九)三月条にも「後方羊蹄」がみえると紹介しており(「国名之儀ニ付申上候書付」松浦家文書)、その案が採用された。明治二年九月小樽・高島(たかしま)両郡は兵部省の管轄となった。同年一一月小樽郡銭函(ぜにばこ)(現小樽市)に開拓使仮役所が置かれ、石狩国三郡・後志国八郡を管轄した(「事業報告」第一編)。同三年一月札幌開拓使庁の出張所が余市(よいち)・積丹(しやこたん)・岩内(いわない)・寿都(すつつ)などの八郡に置かれた。同三年四月銭函仮役所が小樽仮役所となり、庶務ほか五掛を置いて西部各郡を管轄した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
百科事典マイペディア 「後志国」の意味・わかりやすい解説 後志国【しりべしのくに】 1869年蝦夷地を北海道と改めた際建置された11ヵ国の一つ。北海道西部,奥尻(おくしり)・太櫓(ふとろ)・瀬棚(せたな)・島牧(しままき)・積丹(しゃこたん)・小樽(おたる)など17郡を含み,江戸時代から鰊漁で栄えた地域。廃藩置県後札幌県・函館県をへて,1886年から北海道庁管下。現在の後志地域と檜山(ひやま)地域の一部にあたる。 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報 Sponserd by