日本大百科全書(ニッポニカ) 「徒士組」の意味・わかりやすい解説
徒士組
かちぐみ
江戸幕府の職名。室町幕府の走衆(はしりしゅう)にその系譜を引くという。徒組とも書く。1603年(慶長8)の創置というが、それ以前の1600年関ヶ原の戦い前後にその存在は認められる。本丸15組、西ノ丸5組を基本とした。各組には頭(かしら)1人(若年寄支配、役高1000石、布衣(ほい)、躑躅間詰(つつじのまづめ))、組頭2人(頭支配、役高150俵、御目見(おめみえ)以下、上下役(かみしもやく)、躑躅間詰、抱席(かかえせき))、徒士28人(役高70俵五人扶持(ぶち)、御目見以下、羽織袴役(はおりはかまやく)、抱席)があった。1866年(慶応2)徒士組は廃止となり、頭は勤仕並寄合(きんじなみよりあい)、組は銃隊に編成された。その職掌は、戦時には将軍の旗本に備え、平時には将軍の出行に供奉(ぐぶ)し、普段は玄関、中の口などに詰めた。総じて徒士組は将軍身辺の警固役、すなわち親衛隊という性格をもっていた。徒士は支配勘定、日光奉行(ぶぎょう)手付そのほか出役も多くあり、また他の役職に比較して昇格の機会に恵まれていたので、その株は禄高(ろくだか)のわりには高値に売買されたという。また諸藩においても、幕府とほぼ同様の役目をする徒士組があった。
[北原章男]