御山下画図(読み)ごさんげがず

日本歴史地名大系 「御山下画図」の解説

御山下画図(寛永一六年の御山下画図)
ごさんげがず

寸法 (一)七四×八四センチ、(二)一一一×七四センチ(墨色)

成立 寛永一六年

原本 国立国文学研究資料館史料館所蔵蜂須賀家文書

解説 忠英様御代御山下画図と同じ袋に収められている見取絵図二枚で、袋表書に年紀が記されている。図(一)徳島城下の略地図で、天守閣や侍屋敷、市中(町屋)の一部が家屋や屋根の形で表現されている。常三島一角にあり助任川に面する「舩置場」には「川筋水あさく御座候にて舟の出入不罷成候(後略)」の付紙、また福島東方の安宅については「舟置場の替地」の付紙とともに、周囲を土手で囲まれた東西二〇〇間・南北一三〇間の長方形の船置場が図示されている。図(二)はその安宅船置場を中心に描かれた縄張図で、図(一)と同様に土手で囲まれた船置場の真ん中を東西方向に幅二〇間の「船入堀川」が貫通している。このことから両図は安宅船置場の常三島から福島への移転計画図とみられるが、天和三年の阿波国渭津城下之絵図では船置場は東西二三〇間・南北一五〇間となっており、船入堀川も存在しないため、実際には途中で計画変更されたとみられる。なお安宅船置場の移転年代については、これまで寛永四年説(異本阿波志)・同一一年説(阿淡年表秘録)もあったが、当図の存在からこれらの説は否定される。


御山下画図(寛永八―一三年の忠英様御代御山下画図)
ごさんげがず

寸法 三三三×三四四センチ(彩色)

成立 不明

原本 国立国文学研究資料館史料館所蔵蜂須賀家文書

解説 作製年は不詳であるが、寛永八年に渭津より住吉島に移転した蓮花寺、寛永一三年に興源寺と改名した福聚寺が図示されている。城郭付近を中心に描かれた寛永四年の幕府隠密徳島城見取図(滋賀県水口町立図書館蔵)を除けば、徳島城下を描いた最古の城下絵図とみられる。城下は黒枠で区画された寺島・徳島・助任などの「侍屋敷」のほかに、内町・新町・福島・助任には町屋家並が描かれている。常三島付近の安宅島には船屋、住吉島の北部には加子屋敷が描かれている。また佐古富田には竹垣で囲まれた家屋群があり、これらの地区がまだ御山下に編入されていない様子を示す。当絵図中には四ヵ所に付紙があり、のちの佐古町付近には「町屋ニ被成所(後略)」、福島東方には「御舩置所、但御普請之様子小絵図別ニ致進上候」、富田渡場には「橋ニ被成所」などとあることから、藩による城下町整備計画をうかがい知ることができる。なお絵図余白の懸紙には徳島城石垣の修築願が記されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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