御嶽城跡(読み)みたけじようあと

日本歴史地名大系 「御嶽城跡」の解説

御嶽城跡
みたけじようあと

[現在地名]神川町渡瀬

御嶽山(三四三・四メートル)にあった山城。北東麓に金鑽(かなさな)神社がある。南北朝期に長井斎藤別当実永が築城し、文明一二年(一四八〇)に安保吉兼が再築城したとの伝承もあるが未詳。戦国期には安保氏、のち長井氏が居城としたとされる(「風土記稿」など)。関東管領山内上杉氏の平井(ひらい)城(現群馬県藤岡市)は神流(かんな)川を挟んで対岸に位置していた。仁王経科註見聞私(身延文庫蔵)の奥書によると、天文二一年(一五五二)二月一一日北条氏康は関東管領上杉憲政方の御嶽城を攻め、山麓の金鑽山を焼払ったという。同月二六日、下野足利城主長尾当長は足利鑁阿(ばんな)寺に御嶽城堅固を祈願し、上州浄法寺(じようほうじ)村(現群馬県鬼石町)の内で五〇〇疋の地を寄進した(「長尾当長寄進状」鑁阿寺文書)。


御嶽城跡
みたけじようあと

[現在地名]美杉村三多気 四方奥

三多気の大洞(みたけのおおぼら)山南麓高台急斜面に築かれた。現在は桜が植えられて高台は残されている。「勢陽雑記」によれば、日置越前守の孫御嶽左近進の居城で、天正四年(一五七六)北畠具教が三瀬(みせ)館(現多気郡大台町)で殺害された後も、織田家に従わず木造・滝川・柘植氏らの織田信雄軍の攻撃を受けた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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