知恵蔵 「徳洲会」の解説
徳洲会
「命だけは平等だ」の理念の下、「いつでも、どこでも、誰でもが最善の医療を受けられる社会」を目指して、全国に次々と病院や各種医療施設を設立してきた。
1973年に大阪府松原市に開設した徳田病院(現在の松原徳洲会病院)が最初の病院。75年に医療法人徳洲会を設立。現在は北海道から沖縄県まで、66の病院を含む280余りの医療施設を展開。また、大規模な医療施設だけでなく、地域密着型の診療所や、介護施設、社会福祉施設の開設も積極的に進めている。
年中無休、24時間オープンの病院を全国展開していくなかで、地元医師会と対立、85年の第一次医療法改正では病床規制により足かせが科せられたと感じた徳田虎雄は、国会議員となり医療政策そのものに関わることを決意したといわれる。
国会進出を目指し、2度の落選後、90年衆議院総選挙にて無所属で初当選、「自由連合」を設立。国会議員を務めるも、2002年ごろから筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発病。05年にALSの悪化を理由に政界引退。
後継として虎雄の地盤を引き継ぎ、次男の徳田毅(とくだたけし)が05年に衆議院議員に初当選。自由連合代表も務める。06年、自由連合から自民党入りする。
だが、12年12月の第46回衆議院総選挙で、鹿児島県第2区に立候補し当選した毅議員の陣営に、多数の職員を給与・日当を払って運動員として派遣したことが明らかになった。これが公職選挙法違反に当たるとして、13年11月、毅議員の親族など6人が逮捕された。毅議員も自民党に離党届を出している。
また、これら選挙活動については虎雄の指示だともいわれ、13年10月、虎雄は混乱の責任を取って医療法人徳洲会及び医療法人沖縄徳洲会の理事長職から退任。ほか、4法人の理事長職からも退くことを明らかにした。
東京地検特捜部は、虎雄の起訴も検討していたが、「病気のため状況によっては生命の危険がある」として、起訴か不起訴かをきめない「中止処分」となった。
一方、徳洲会から5000万円を受け取っていたことにより、東京都知事を務めていた猪瀬直樹が辞任に追い込まれるという事件も起きている。
(星野美穂 フリーライター / 2013年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報