息長氏(読み)おきながうじ

改訂新版 世界大百科事典 「息長氏」の意味・わかりやすい解説

息長氏 (おきながうじ)

近江国坂田郡息長(現,滋賀県米原市南部)を本拠とした古代の氏族。同郡天野川流域には5世紀末~6世紀後半の息長古墳群がある。この地は古代東山道,北陸道の要衝であり,琵琶湖に朝妻港をもつ交通の拠点であった。応神天皇の皇子若野毛二俣(わかぬけふたまた)王の子意富富杼(おおおど)王を氏祖と伝える(《古事記》応神記)。《古事記》などの系譜・伝承の中において,息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと)(神功皇后)や息長真若中比売(おきながまわかなかつひめ)(応神天皇妃)など息長の氏名を冠する皇妃を輩出し,大王家との姻戚関係を伝える。また近江・越前を基盤として大王位についた継体天皇の擁立にあずかったとする説が有力であり,このころから中央氏族としても進出していった。舒明天皇の和風諡号(しごう)も息長足日広額天皇であり,642年その喪のときに息長山田公が日嗣(ひつぎ)の誄(しのびごと)を奉った。しかし,外戚氏族として政治に参画するというよりは,皇親氏族としての性格にとどまった。684年(天武13)の八色の姓への改姓時には,息長公は第一の真人姓に改められた。8世紀には,初頭に従四位上まで昇った息長老が出たのち,中央で四位以上クラスの有力な者はみられない。一方在地においては,ひきつづき坂田郡の郡司や筑摩御厨長として勢力を保っていた。《新撰姓氏録》では左京皇別氏族の筆頭息長真人を収めている。また同族の中には8世紀に画師として活躍した息長丹生真人氏がある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「息長氏」の意味・わかりやすい解説

息長氏
おきながうじ

近江(おうみ)国坂田郡(滋賀県米原(まいばら)市)を本拠としていた古代豪族。意富富杼(おほほど)王の後裔(こうえい)と伝えられ、姓(かばね)は公(きみ)(君)。684年(天武天皇13)の八色(やくさ)の姓では、同族の三国公、坂田公、酒人(さかひと)公らとともに筆頭の真人(まひと)の姓を賜った。継体(けいたい)天皇の即位にあたっては、その背後にあって重きをなし、天皇家ともしばしば姻戚(いんせき)関係を結んだが、社会的地位が高いわりには有力者を出さなかった。奈良・平安時代には坂田郡司を歴任。ほかに京都府南部の綴喜(つづき)郡あたりにも居住していた。その祖先伝承には、神功(じんぐう)皇后伝説をはじめ、天皇家との関係を語る説話が多い。

[塚口義信]

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