慎到(読み)シントウ

デジタル大辞泉 「慎到」の意味・読み・例文・類語

しん‐とう〔‐タウ〕【慎到】

中国戦国時代ちょう思想家法家政治思想を唱えた。著とされる「慎子」は一部分のみ伝わる。生没年未詳。

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精選版 日本国語大辞典 「慎到」の意味・読み・例文・類語

しん‐とう‥タウ【慎到】

  1. 中国、趙(山西)の人。戦国時代の法家の学者。黄帝老子の思想を学び、道家ともいわれる。当時の思想界中心地であった斉の稷下(しょくか)田駢(でんべん)らとともに宣王に仕えた。著に「慎子」四二編があるが五編のみ現存する。生没年未詳。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「慎到」の意味・わかりやすい解説

慎到
しんとう

生没年不詳。中国、春秋戦国時代の法家(ほうか)思想家で、君主権勢地位といった勢に関する考察に優れていた。趙(ちょう)国(山西省)の生まれで、斉(せい)の稷下(しょくか)学士の一人。彼の政治思想は、賢・智(ち)といった個人的な才能に依存せず、勢・法といった客観的統治手段である君主の権勢や地位に依存すべきだというもの。こうした考えは斉での影響と考えられ、『管子(かんし)』法法・七臣七主篇(へん)などにもみえる。『荘子(そうじ)』天下篇では道家思想家として扱われているが、主観的なものによらず、客観的なものに依存していると批評されている点では一致している。著作は『史記』では12論を著したとされ、『漢書(かんじょ)』芸文志(げいもんし)には『慎子』42篇が著録されているが、宋(そう)代以後、大部分が亡逸して5篇のみ現存している。

[澤田多喜男 2015年12月14日]

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改訂新版 世界大百科事典 「慎到」の意味・わかりやすい解説

慎到 (しんとう)
Shèn dào

中国,戦国時代の趙の思想家。生没年不明。斉の宣王(在位,前319-前301)のとき,斉の都におもむき鄒衍(すうえん),淳于(じゆんうこん),環淵(かんえん)らと稷下の学士として活躍した。黄老の道徳の術を学んで12編を著したと伝えられる。《漢書》は法家に列して《慎子》42編を記録しているが,多く散逸して,現行本は5編である。その勢(位)を重んずる主張は,商鞅(しようおう)の説いた法,申不害の尊んだ術とともに,韓非にとりいれられて《韓非子》の法思想を構成することとなる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「慎到」の意味・わかりやすい解説

慎到
しんとう
Shen Dao

中国,戦国時代の思想家。斉 (山東省) に遊学し道家思想を学んだと『史記』にあるが,法による政治を説いたので法家の系統に属するともいわれ,その事績はよくわからない。その著『慎子』は 42編あったというが,現存するのは5編のみで,しかも偽書とされている。

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世界大百科事典(旧版)内の慎到の言及

【稷門】より

…その数は数百人から1000人にものぼり,稷下の学士とか稷下先生とよばれた。宣王時代の鄒衍(すうえん),淳于髡(じゆんうこん),田駢(でんべん),慎到らはとくに有名である。斉のこのような学問優遇の伝統は襄王ごろまでつづき(前357‐前265),いわゆる稷下の学を形成して戦国時代の文化学術の一大中心となった。…

【道家】より

… 道家は,その源が戦国の乱世それ自体,すなわちこの一大社会変革の生み出す政治への不信ないし生の不安にあり,それらを理論的に解決して人々に慰めを与えるものだったので,当時の失意の士大夫の間に多数の支持者を得たのみならず,今日まで同様の時代・類似の境遇の人々に広範に信奉されてきた。その先駆は《論語》にいう逸民であるかもしれぬが,直接には戦国中~後期の(1)個人の生命の充実を重んじた楊朱,子華子,詹何(せんか),(2)寡欲に徹し闘争の否定を唱えた宋牼(そうけい),尹文(いんぶん),(3)道徳的先入観からの脱却を説いた田駢(でんへん),慎到,(4)総体としての世界の〈実〉に依拠して,あれとこれとの区別である〈名〉(概念,判断)を軽視した恵施(けいし)などであり,その成立と展開は《荘子》《老子》《淮南子》などによって最もよく知りうる。前3世紀初め,自我の撥無(はつむ)によって一の無たる世界に融即せよ,それこそが道をとらえた聖人の主体性だからとする万物斉同の哲学に始まり,そのように世界を統御しつつ同時にそこから超出して自由であれと説く遊(ゆう)の思想に受け継がれ,以後各方面に展開していった。…

【法家】より

…両者をうけて,商鞅(しようおう)の変法は,隣保・家族制や軍功爵による集権支配と官僚制,土地改革などの富国強兵策とを,法制をしいて秦で強行した。以後,韓の申不害(?‐前337)は〈刑名(実功と言辞)〉審合で臣下を統御し〈術〉によって黄老風に権力意志を〈無為〉に隠匿(カムフラージュ)する独裁術を唱え,斉の稷下(しよくか)学士(稷門)の慎到は客観的な力関係と権力の掌握行使の方策が〈勢〉威にあると説いた。 戦国末期の韓非子は,儒家の徳治主義を排するが荀子流〈礼〉の実在を法権の超越的実在に入れ替え,〈法・勢・術〉3者を総合して権勢を君主に集中独裁させ,官僚を爪牙に駆民統治をめざす法治思想を集大成した。…

※「慎到」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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