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法家 ほうかfa jia

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

法家
ほうか
fa jia

中国古代に興り,刑名法術を政治の手段として主張した学派。春秋時代の管仲が法家思想の祖とされ,戦国時代の李 悝 (りかい) ,商鞅申不害慎到らが法家の系列に属する。韓非子にいたってこの思想が集大成され,その著『韓非子』 20巻は先秦法思想の精華といわれる。法家は法と術とを重んじ,法は賞罰を明らかにして公開し,特に厳刑主義をとって人民に遵守を促すものであり,術は人主の胸中に秘して臨機応変,その意志に人民を従わせる統御術とされた。政治を道徳から切り離した実定法至上主義であり,儒家徳治,礼治を強調したことと顕著に対立する。法家思想は秦代の政策のうえに大いに具現されたが,漢代以降,学派としては消滅した。漢代には儒法2家の融合をみて,儒家は法的制裁をかりて礼の実現に努め,礼と法とは表裏をなしつつ,その後の中国法の性格を形づくるものとなった。

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デジタル大辞泉の解説

ほう‐か〔ハフ‐〕【法家】

法律学者。法律家。
中国、戦国時代諸子百家の一。法による厳格な政治を行い、君主の権力を強化し、富国強兵をはかろうとする政治思想。また、その説を説く学者。申不害商鞅(しょうおう)から韓非(かんぴ)によって大成された。

ほう‐け〔ハフ‐〕【法家】

法律に関する学問を伝える家。また、その家の人。明法家(みょうぼうけ)。ほっけ。

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百科事典マイペディアの解説

法家【ほうか】

中国,諸子百家の一つ。法を政治の基本とすべしと説く。法術を尊重し,信賞必罰によって国勢の強化を図った。春秋時代末,子産の《刑書》,晋の范宣子(はんせんし)の《刑鼎(けいてい)》,鄭の【とう】析(とうせき)の《竹刑》などの書に現れた威圧政治に由来し,戦国時代の魏の李【かい】(りかい)が開祖とされる。

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世界大百科事典 第2版の解説

ほうか【法家 Fǎ jiā】

中国,古代に発達した,君主統治の中心に〈法・勢・術〉をおく思想家著述をさす。実定法による治民策は春秋末期の宗法制・礼楽秩序の壊頽に対応して,子産(鄭の執政)や范宣子(はんせんし)(晋の卿(けい))の刑律公開がある。戦国初期の魏の,李悝(りかい)(克)の《法経》制作による富国策と楚の呉起(?‐前381)の法治による君権強化策は,同時に起こった。両者をうけて,商鞅(しようおう)の変法は,隣保・家族制や軍功爵による集権支配と官僚制,土地改革などの富国強兵策とを,法制をしいて秦で強行した。

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大辞林 第三版の解説

ほうか【法家】

中国、戦国時代の諸子百家の一。法律により天下を治める法治を説いた思想家・政治家。申不害・商鞅しようおうらに次いで韓非が大成。秦の李斯りしに影響を与えた。
法律家。

ほうけ【法家】

律令などの法律に関する学問を代々伝えた家系。また、その家系の人。明法家みようぼうけ

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

法家
ほうか

中国、戦国時代の諸子百家の一派。法を基準として信賞必罰の政治を行い、旧来の貴族の特権を認める礼を排除して権力を君主に集中し、富国強兵を図ることを主張する一連の政治家、思想家をさす。利を好み害を悪(にく)むのが人間の本性だとする人間観にたち、教化を考えずに賞(利)と罰(害)を伴う法の適用による臣民の統御を唱えた。儒家(じゅか)の徳による感化の狭い領域支配に対して、法の一律的適用の支配は広範な領域の統治に適したもので、全国の統一的支配、中央集権化の時代の趨勢(すうせい)に合致した。秦(しん)の後の漢(かん)代は儒教国家だとされるが、実質は法家的政治が行われた。また法家は、個に対する全体、家に対する国、臣民に対する君主の優位を主張する。思想家として有名なのは、李(りかい)の法思想を継承した商鞅(しょうおう)、術の考察に優れた申不害(しんふがい)、勢を重視した慎到(しんとう)、以上の三者の考えを総合した韓非(かんぴ)などがいる。著作は『商君書』(『商子』)、『慎子』、『韓非子』、『管子』などが現存する。[澤田多喜男]

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世界大百科事典内の法家の言及

【公私】より

…大同の世は後世,しばしば革命の原動力になったが,そこでは〈天下を公と為(な)す〉がゆえに,人は自分の親や子だけを大事にせず,不幸な人々に援助の手をさしのべ,財貨も私蔵しないし,労力も自分のためだけに使わないという(《礼記》礼運篇)。 思想史上からいえば,公・私の対立をするどく提起したのは法家であった。《韓非子》五蠹(ごと)篇にいう,〈むかし蒼頡(そうけつ)(伝説上の文字の制作者)が文字を作ったとき,自分のためばかり営(はか)るのを厶(私のもとの字)とし,厶に背(そむ)くことを公とした。…

【春秋戦国時代】より


[思想,芸術]
 この《官吏心得》は,戦国末の秦で公布されたものであるが,その内容は上述の商鞅の著書とされる《商君書》(成立は戦国末)と共通する思想がみられ,また荀子の思想の影響がみられる。荀子は儒家といわれ,商鞅は法家といわれる。このように戦国末には異なった思想がいくつもみられるが,その源流は春秋末に出た孔子である。…

【諸子百家】より

…ことに〈儒墨〉(儒家学団と墨家集団)とが並称され,その二大勢力を誇ったさまを伝えている。また,〈諸子〉を陰陽之術,儒者,墨者,法家,名家,道徳の6専家に分類したのは,前漢初期,司馬遷の父,司馬談の〈六家(りくか)之要指〉(《史記》太史公自序)にはじまる。そこには,この6家の長所と短所が要領よく紹介され,道家を他の5家の長所をかねる卓越した術芸とするのにひきかえ,儒家はより劣った学術にすぎず,墨家集団はすでに没落したことを告げている。…

【秦】より

…統一後,秦はそれまでの社会体制を大改革し,郡県制を制定,官僚組織を整備するなど中央集権的国家体制をしき,これらの制度はのちの中国各王朝に引きつがれることになる。また秦は法律による統治を理想として,法家思想に基づく信賞必罰主義をとった。急激な変革,厳しい法による人民支配の強化から,2代目皇帝胡亥即位の翌年(前209)早くも農民反乱(陳勝・呉広の乱)を招いた。…

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