日本大百科全書(ニッポニカ)「慶安太平記」の解説
慶安太平記
けいあんたいへいき
実録本、およびこれを脚色した歌舞伎(かぶき)劇の題名。1651年(慶安4)浪人由比正雪(ゆいしょうせつ)、丸橋忠弥(まるばしちゅうや)らが幕府転覆を図った、いわゆる慶安事件を扱ったもの。正雪が楠(くすのき)流の軍学者で、『太平記』の主要人物楠木正成(くすのきまさしげ)の子孫と称したという巷説(こうせつ)から、この名が生まれ、大衆に親しまれた。歌舞伎脚本は河竹黙阿弥(もくあみ)作で、本名題(ほんなだい)『樟紀流花見幕張(くすのきりゅうはなみのまくばり)』全7幕。1870年(明治3)3月、東京・守田座初演。今日では『慶安太平記』の名題が使われ、通称を「丸橋忠弥」ともいう。正雪の陰謀に参加した忠弥が、酔態に紛らせて江戸城の堀の深さを測り、松平伊豆守(いずのかみ)に見とがめられる堀端(ほりばた)の場が有名。忠弥の役は初世市川左団次の出世芸で、2世左団次に継承され、なま酔いの台詞(せりふ)は声色にしばしば使われた。のち忠弥は舅(しゅうと)の弓師藤四郎に借金の返済を迫られ、うっかり陰謀を漏らし、その密告によって大ぜいの捕り手に囲まれ、乱闘のすえ捕らえられるが、この大立回りも名高い。
[松井俊諭]