憲法問題研究会(読み)けんぽうもんだいけんきゅうかい

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

憲法問題研究会
けんぽうもんだいけんきゅうかい

日本の代表的な学者が民間レベルで自主的に組織し、日本国憲法の基本原理と条章の意味を研究して、その成果を国民に伝えることを目的とした団体。憲法改正を企図した岸信介(きしのぶすけ)内閣は1957年(昭和32)7月、内閣直属の憲法調査会の委員を決定し、8月13日第1回総会をもった。これに対して、大内兵衛(おおうちひょうえ)、茅誠司(かやせいじ)、清宮四郎、恒藤恭(つねとうきょう)、宮沢俊義(みやざわとしよし)、矢内原忠雄(やないはらただお)、湯川秀樹、我妻栄(わがつまさかえ)の8名は、調査会メンバーの多くが改憲論者であり、同会が憲法問題に対する広範な民意と良識とをかならずしも代表していないとして、1958年5月、46名の学者・文化人を招請し、6月8日研究会の第1回会合を開催した。「招請状」によれば、発会の動機は、一国の運命に強い影響を及ぼす憲法問題を調査会が特定の立場からのみ解釈し検討していることに危惧(きぐ)感を強めたからであった。同年6月22日には末川博(すえかわひろし)を中心に関西支部が結成された。研究会は、平和と自由(民主・人権)の憲法原理が戦後政治と国民生活の原動力となってきたという立場から護憲勢力の一翼を担ってきた。月1回の研究会をもち毎年5月3日の憲法記念日に講演会を催すほか、安保改定時には反対声明を出すなどの日常活動を行った。1976年に解散。なお、本格的な憲法改正のための戦後初の公的な組織である憲法調査会は1964年7月、最終報告書を提出するが、憲法問題研究会等の護憲論の高まりの影響を受けて、明文改憲論は大きく後退し、以後、現行憲法の解釈・運用によるなし崩し的改憲を実現しようとする「解釈改憲」現象が進行していった。

[荒 敬]

『林茂・辻清明編『日本内閣史録6』(1981・第一法規出版)』『憲法問題研究会編『憲法を生かすもの』(岩波新書)』『憲法問題研究会編『憲法と私たち』(岩波新書)』

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