成生村(読み)なりうむら

日本歴史地名大系 「成生村」の解説

成生村
なりうむら

[現在地名]舞鶴市字成生

大浦半島北部、半島最先端に位置し、若狭湾に面する海岸集落。この地方では漁業を中心とする数少ない村である。集落は砂浜をもつ小さな湾奥に位置し平地は少ない。

京都白川家に伝わったものを室町中期に書写したと称する「丹後風土記」残欠に、加佐郡所在の神社が列挙されるが、そのうちに「鳴生葛島社」「同将軍社」があげられ、また成生にある甲岩かぶといわを説明して次のように記している。

<資料は省略されています>

この書の真偽はともかく、これによれば成生は鳴生とも記したらしい。伝承によれば、応安七年(一三七四)成生で大火があったと伝えるので、集落形成の古さがうかがえるが、確実な史料はない。慶長検地郷村帳に高三一・六六石「成生村」とみえ、当時は小成生村という分村があり、成生村は六三戸、小成生村には一三戸があったという(成生誌)


成生村
なりゆうむら

[現在地名]天童市成生

北部を押切おしきり川とみだれ川が西流し、南東高木たかき村、西は大町おおまち村・大清水おおしみず村。安元二年(一一七六)二月日の八条院領目録(内閣文庫蔵山科家古文書)にみえる成生庄の遺称地で、早くから開発され、庄官の名にちなむとみられる二階堂にかいどうなどの地名も残る。里見氏が天童に移る以前の本拠で、戦国期には天童氏の家臣成生氏が支配し、それらの館跡とみられる城堀の一部が残る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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