ソビエト・ロシアで1918年から21年初頭にかけてとられた経済政策の体系。工業の大半部分の国有化と中央集権的管理体制,自家消費用以外のすべての穀物を国家の手に集中する食糧割当徴発制,分配面での配給制(その反面での闇市場の激増),貨幣の意義の縮小,全般的労働義務制等がその特徴である。この政策が内戦・干渉戦(イギリス,フランス,日本,アメリカなどから派遣された革命干渉軍との戦い)という非常事態に対処するための一時的緊急措置であったのか(〈戦時共産主義〉という呼称自体,このような解釈を前提としている),それともむしろ共産主義の即時樹立をめざして国有化・現物経済化等を意識的に追求した結果であるのかという点をめぐっては解釈が分かれている。1917年の十月革命直後から18年前半まではまだこのような政策がとられておらず,18年春から夏における食糧事情の悪化,内戦・干渉戦の本格化という状況の中で徐々にこの政策がとられるようになったことは,前者の解釈を正当化するようにみえる。しかし,当時の政策担当者,経済理論家の中には,これらの政策を共産主義的原則への前進として意義づけようとした者が少なくなかったことも事実である。工業における過度の国有化・集権化の推進は工業管理機構の機能不全をもたらし,農民からの食糧徴発は農民の不満を増大させた。内戦・干渉戦が峠をこえた20年には,計画化原理のいっそうの強化によってこの矛盾を克服しようとする政策が試みられたが,失敗した。そのうえ,地主復活の危険がある間は反革命白衛軍に対抗してソビエト政権を支持していた農民も,その危険がなくなると食糧徴発への不満をより顕在的な反乱として表明するようになった。このような中で,21年に入って戦時共産主義は放棄され,ネップ(新経済政策)への移行が始まった。歴史的意味における〈戦時共産主義〉はこうして失敗のうちに終結したが,より一般的には,急速な国有化・集権化・現物経済化等を特徴とする社会主義建設の一モデルとして,この言葉が使われることもある。
執筆者:塩川 伸明
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1918~21年の時期におけるソビエト国家の経済政策または経済体制の総称。ひと口で特徴づければ国家的に組織化された生産=分配制度であるが、より具体的な内容を列挙すると次のとおりである。〔1〕生産手段の国有化の徹底と生産物の広範な国家独占。大・中規模ばかりではなく多数の小規模工業企業も国有化され、農業では土地以外の生産手段は私有のままであったが、余剰農産物の国家への引き渡しが義務づけられた(食糧独裁、食糧割当て徴発制)。〔2〕経済運営の極度の中央集権化。燃料、原料、設備などの企業への供給や生産物の配分は中央管理局が指令し、住民への必需物資の配給は国家機関が行い、私営商業は禁止された。〔3〕労働力の国家的動員と配分(全般的労働義務制、労働の「軍隊化」)。〔4〕分配における階級原則。〔5〕経済生活の「現物化」。
これらを、内戦と干渉戦、経済的荒廃のもとでの一時的・非常時的なもの、すなわち正常な社会主義建設からの逸脱とみなすか、あるいは特定のイデオロギー的背景をもち、革命的情熱に依拠(たとえば共産主義土曜労働)した時期尚早の共産主義建設の試みとみなすか、その歴史的評価が分かれている。
1921年3月に、ソビエト国家は、農民の不満増大に促迫されて食糧割当て徴発制を廃止したが、これを契機として戦時共産主義からネップ(新経済政策)への転換が行われた。
[門脇 彰]
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1918~20年の内戦の時期にとられたソ連の経済政策。経済的崩壊が進むなかで,戦闘に総力を動員するために,中小工場の国有化,穀物強制徴発,貨幣の役割の縮小,賃金の現物給与,中央集権的食糧配給,それに全般的労働義務制が実施された。これは状況に迫られた方策であったが,当時はこれが共産主義への最短コースと考えられた。この考えはのちに反省される。
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…生産手段を社会化したならば,社会全体を〈ひとつの工場〉のように運営できるだろうというイメージは,マルクスに発している。 第2は,十月革命からわずか8ヵ月後,1918年6月から21年3月まで,国内戦と外国干渉戦という非常事態のもとで施行された〈戦時共産主義〉の経験である。これは農民にたいする余剰食糧徴発制を中心に,労働の軍隊化と厳しい配給制による雇用,消費規制を結合した戦時統制型の経済で,市場関係はほとんど表面から姿を消したが,これが革命の熱狂と第1であげた社会主義経済像と結びついて,真の社会主義への道と考えられた。…
…12月16日,キエフが解放され,デニキン軍は打ち破られた。 この熾烈な内戦を戦いぬくために,ソビエト政権は〈戦時共産主義〉と呼ばれる経済政策をとった。その第1の柱は〈穀物独裁〉であり,第2の柱は全工業の国有化であった。…
※「戦時共産主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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