戸ヶ崎村(読み)とがさきむら

日本歴史地名大系 「戸ヶ崎村」の解説

戸ヶ崎村
とがさきむら

[現在地名]三郷市戸ヶ崎・寄巻よまきさかえ

現三郷市の南西端に位置する。西は中川を挟んで埼玉郡大瀬おおぜ(現八潮市)など、南は小合こあい溜井を挟んで上小合村・さるまた(現東京都葛飾区)。集落は中川左岸の自然堤防上を中心に発達し、後背低湿地に耕地が広がる。応安五年(一三七二)一一月九日の長者宣写(香取旧大禰宜家文書)に「戸崎」とみえ、関白二条師良(藤原氏長者)は大中臣長房に対し下総一宮香取神宮の大禰宜・神主両職および戸崎などの関務の知行を命じている。同年一二月一四日足利義満の意を受けた幕府管領細川頼之は関東管領上杉能憲を通じて長房にこの関務知行を安堵している(「足利義満御教書写」同文書)。同七年一〇月一四日の安富道轍等連署奉書写(同文書)によれば「下総国風早庄内戸崎」などの関務が香取神宮の灯油料所となっており、戸崎は風早かざはや庄に含まれていた。至徳四年(一三八七)五月一日長房は嫡子満珠丸に「かさはやのしやうのうちとかさき」を含む香取社神領・諸職などを譲り与えている(「大中臣長房譲状」同文書)。応永一四年(一四〇七)四月大中臣幸房は戸崎関にかけられた鎌倉府の倉役の免除を申請している(「大中臣幸房陳状案」同文書)


戸ヶ崎村
とがさきむら

[現在地名]菖蒲町菖蒲

現菖蒲町の北東部に位置する。大宮台地が北方の加須かぞ低地に移行する地域にあって、概して低平な地形。菖蒲領の元村。村内を上・下の二地区に分け、上戸ヶ崎はしだいに町場化して菖蒲町と通称された(風土記稿)。飛地が南東三箇さんが村にある(郡村誌)。村の西側を見沼代用水(星川)が、東部を笊田ざるだ堀・備前前びぜんまえ堀・備前堀が流下している。菖蒲町は鴻巣上尾加須わしみや(現鷲宮町)などへの道が交差する交通の要衝で、人馬の継立の場となっていた(風土記稿)。慶長六年(一六〇一)陸奥仙台伊達氏の鷹場に指定されている(貞享元年「久喜鷹場村数覚」伊達家文書)


戸ヶ崎村
とがさきむら

[現在地名]西尾市戸ヶ崎町

市の北に位置し、矢作川の南岸にある。新渡場しんとば村に隣する。碧海へきかい台地の東の端に集落があり、谷底平野が入込んでいる。村名の由来は「此の地、上古は岬角斗出して、対岸に迫り、潮水其の間を進退せしより、かく名つけしものなり」と「西尾町史」は記す。天保郷帳に「戸箇崎村」と記す。中世戸賀崎氏が城を築き、この地方を支配した。城山しろやまの字名が今も残る。藩政期西尾藩領。村の開発について

<資料は省略されています>

と「戸ケ崎村由来記」は記す。台地上に用水や藩有林・街道並木があり、坪井も多く村人足で春浚えを行った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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