承徳の避暑山荘と外八廟(読み)しょうとくのひしょさんそうとそとはちびょう

世界遺産詳解 「承徳の避暑山荘と外八廟」の解説

しょうとくのひしょさんそうとそとはちびょう【承徳の避暑山荘と外八廟】

1994年に登録された中国の世界遺産(文化遺産)。避暑山荘(ピーシュシャンチョワン)は、首都北京の北東約100km、河北省承徳市北部にある、清朝皇帝たちの離宮。承徳にあることからかつては承徳離宮とも、旧省名から熱河行宮とも呼ばれた。この離宮は清の第4代皇帝の康煕帝が1702年に建設を開始し、第6代皇帝乾隆帝の時代の1790年に竣工した。避暑山荘の総敷地面積は564万m2で、総延長10kmに及ぶ宮牆(きゅうしょう)に囲まれたエリアの中には100棟余の建物がある。避暑山荘は、中国に現存する最大の皇室庭園といわれている。康熙帝は1683年からほとんど毎年夏から秋にかけて木蘭囲場(現・承徳市囲場満族モンゴル族自治県)に出かけ、女真族伝統のテント生活を送りながら狩猟を行った。こうした習慣は、後の皇帝にも引き継がれたが、この離宮の建設は、これと大いに関係がある。一方、外八廟(ワイパーミャオ)は避暑山荘(離宮)の城壁の外にある寺社や廟で、「八廟」と名づけられているが、実際はそれより数は多い。最も早く建立された溥仁寺と溥善寺を除き、他の寺社や廟はほとんどがチベット様式の建築物である。たとえば、普陀宗乗之廟は、ラサポタラ宮(世界遺産)を模したもので、乾隆帝はラサに画工測量士を送り込んで調査を行い、この建物を造った。このため「小ポタラ宮」とも呼ばれている。これらが建設された主要な意図は、チベット仏教を信仰するチベット人モンゴル人に対する懐柔策だったといわれている。また、自分を転輪生王と考えていた乾隆帝が、チベット仏教の寺廟を建てて、その徳により、この一帯を治めようとしたともいわれている。◇英名はMountain Resort and its Outlying Temples, Chengde。承徳は中国語でチョントーと発音する。

出典 講談社世界遺産詳解について 情報

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