日本歴史地名大系 「挽野新田」の解説
挽野新田
くしびきのしんでん
江戸時代中期に開発された
寛文一二年(一六七二)の櫛挽野入合覚(持田家文書)に「櫛挽野」とみえる。入会秣場は開発・新林を禁じたものが多いが、地の利を得た野付の村々は新開によって耕地の拡大を望むことが多く、これと対立する入会村々との間に争論が絶えなかった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
江戸時代中期に開発された
寛文一二年(一六七二)の櫛挽野入合覚(持田家文書)に「櫛挽野」とみえる。入会秣場は開発・新林を禁じたものが多いが、地の利を得た野付の村々は新開によって耕地の拡大を望むことが多く、これと対立する入会村々との間に争論が絶えなかった。
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