改訂新版 世界大百科事典 「揚子江デルタ地帯」の意味・わかりやすい解説
揚子江デルタ地帯 (ようすこうデルタちたい)
中国江蘇省南部および上海市に広がる,長江(揚子江)によって形成されたデルタ地帯。中国では長江三角洲と呼ばれる。地形的には,南京と鎮江の間にある寧鎮丘陵の北縁付近を頂点とし,現在の長江の流路の南北に広がる。古い砂州列が,北岸では揚州より通揚運河に沿って泰州,海安に至る線に,南岸では鎮江より南東に江陰,常州,太倉,松江,奉賢を経る線に存在し,約6000-7000年前の後氷期の海進にともなって最も内進した海岸線に残されたものであると考えられている。その後,平均して毎年40mの速度で陸化がすすみ,北は淮河(わいが)の三角州との間に高郵湖等の低湿地が,南は太湖盆地が後背湿地として形成された。現在の流路が南へ偏し,三角州の成長も南へより張り出しているのは,潮流が南に偏して退流するためである。また海面下にも古い三角州の存在が確認されている。
揚子江デルタ地帯は中国で最も肥沃で安定した沖積平野で,すでに新石器時代早期から水田農耕に基づいて居住がすすみ,北方の乾燥地域とは異なる文化が発達していた。その後魏晋南北朝時代に華北から流民が大量に移住して開発が進み,隋代以来の南北をつなぐ漕運の発達とあいまって,〈江浙(こうせつ)熟せば天下足る〉といわれるように天下の台所として機能した。これに伴い南京,蘇州,揚州,上海などの都市が発達して稠密(ちゆうみつ)な中心集落網が形成され,中国で最も高い人口密度を有する地域となった。宋代以降イネ(占城稲)の品種改良,水利の発達により江南平野の生産力が急上昇し,産米はこれらの都市を通じて全国に流通した。明代には絹織物,綿織物などの手工業が発展して物流の中心としていっそう繁栄し,以来中国第一の経済的先進地帯として今日に及んでいる。土地の成長とその上に営まれた人文・社会の成長,後背地との関係が有機的に組み合わされ,ダイナミックな歴史が展開した地域である。
執筆者:秋山 元秀
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報