日本大百科全書(ニッポニカ) 「占城稲」の意味・わかりやすい解説
占城稲
せんじょうとう
中国の米の品種。北宋(ほくそう)第3代皇帝真宗(しんそう)の1012年、インドシナ半島のチャンパ(占城)から3万石の種子を取り寄せ、華中や開封(かいほう)の宮中で試作し、やがて急激に江南、福建、広東(カントン)に広がった。インディカ系の早稲(わせ)で、在来の晩稲(おくて)が成熟に120日もかかるのに比べ50日から100日で熟するため、干害、水害を免れ、やせ地や塩分を含む田でも育つので、干拓田や水がかりの悪い山間で普及した。始めは租税や地租には認められなかったが、都市大衆や非自給地で多量に消費された。占城稲の導入で稲作は一挙に安定し、巨大人口を養い、産業の分化を促した。品種改良も進んで明(みん)・清(しん)では在来の秈稲(せんとう)(インディカ)との区別がぼやけた。日本では味が悪いためかあまり普及しなかった。
[斯波義信]
『天野元之助著『中国農業史研究』(1962・御茶の水書房)』