教壇条項(読み)きょうだんじょうこう(その他表記)Kanzelparagraph ドイツ語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「教壇条項」の意味・わかりやすい解説

教壇条項
きょうだんじょうこう
Kanzelparagraph ドイツ語

ビスマルク文化闘争中発布した法令。1871年成立したドイツ帝国では、人口の約3分の1を占めるカトリック教徒が、新教国家プロイセンの支配反感を抱き、中央党を結成して政府を批判した。そのため、新帝国の強化を目ざすビスマルクはカトリック教徒弾圧に乗り出し、71年11月カトリック聖職者説教壇から反政府宣伝を行うことを禁止するこの条令を発布し、文化闘争は本格化した。

[木谷 勤]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「教壇条項」の解説

教壇条項(きょうだんじょうこう)
Kanzelparagraph

1871年ドイツ帝国が成立すると,西南ドイツのカトリック教徒は,中央党を組織して,新教国プロイセン中心とする集権的支配に反抗した。ビスマルクはこれに弾圧を加えるため,まず71年11月「教壇条項」を発布して,カトリック教会の説教壇を政治目的のために利用することを禁止し,こうして文化闘争が始まった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「教壇条項」の意味・わかりやすい解説

教壇条項
きょうだんじょうこう
Kanzelparagraph

南西ドイツのカトリック教徒を主体とする中央党の反抗に対して,ビスマルクが 1871年 11月発布した,聖職者の反政府宣伝を禁止するドイツ帝国刑法第 130条の別名文化闘争を起す原因となった。

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旺文社世界史事典 三訂版 「教壇条項」の解説

教壇条項
きょうだんじょうこう
Kanzelparagraph

1871年11月にビスマルクが公布した,僧侶が説教壇で政治を論じることを禁じた法令
プロイセン中心のドイツ帝国の成立とその富国強兵策に反対するドイツ南西部のカトリック教徒を抑えるために公布。これをきっかけに,文化闘争が起こった。1879年に解除された。

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