1871年ドイツ帝国が成立すると,西南ドイツのカトリック教徒は,中央党を組織して,新教国プロイセンを中心とする集権的支配に反抗した。ビスマルクはこれに弾圧を加えるため,まず71年11月「教壇条項」を発布して,カトリック教会の説教壇を政治的目的のために利用することを禁止し,こうして文化闘争が始まった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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