改訂新版 世界大百科事典 「文化3年の大火」の意味・わかりやすい解説
文化3年の大火 (ぶんかさんねんのたいか)
車町火事,牛町火事,丙寅火事ともいう。明暦の大火,目黒行人坂の大火に次ぐ江戸三大火の一つ。1806年(文化3)3月4日正午前,芝車町泉岳寺前から出火,西南の強風にあおられ,大名小路,京橋,神田,浅草に延焼,翌日昼前,早朝からの大雨でようやく鎮火した。焼失面積は幅平均7町(約800m),長さ2里余(8km余)。大名屋敷80余,寺社は芝増上寺,芝神明社,東本願寺等80余,町数530余町を全焼,死者は1000名を超えた。幕府は被災した旗本には拝借金の借用を許し,小禄の御家人には救済金を下付するとともに,罹災した町人で露宿の者は9ヵ所の御救小屋に収容,炊出しを行い,居所のある町人には御救米を与えた。幕府の取締りにもかかわらず米・材木等の価格や賃金は急騰し,5日朝72文で売られたわらじが,昼ごろには300文の高値になったという。また日本橋本町に滞留中のオランダ商館員十数名も被災し,通詞と離れた彼らは戦争が起きたと恐れたという。
執筆者:池上 彰彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報