日本歴史地名大系 「新城町」の解説
新城町
しんしろまち
天正の初めまでは当地は
慶長九年(一六〇四)の検地帳(慶長九年検地帳集成)では田一反余・二石余、畑一〇町七反余・一一七石余と耕地は畑を中心として町の北部にあり、屋敷は南町に五七軒、城の西に四五軒の計一〇二筆・三町一反余・四〇石余であった。その後町人の力もあって開拓が進み、他村域でも町人の開発地は新城地と認められたことなどもあって、元禄九年(一六九六)には四六九石余、享保一〇年(一七二五)には本田七八石余、新田三四二石余と記される。新田は新町・間之町を含むか。戸口は慶安元年(一六四八)に二一九軒・一千二七一人、元禄九年に二八四軒・一千一三六人、享和三年(一八〇三)に三九四軒・一千三〇三人。
町並も初めは市神を中心として東を
新城町
しんじようまち
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報