改訂新版 世界大百科事典 「施療院」の意味・わかりやすい解説
施療院 (せりょういん)
hospital
hospice
無料で貧民の病気を治療するために設立された一種の慈恵病院をいう。この言葉の語源はラテン語のホスピティウムhospitiumから来ており,原義は〈客人hospesを迎える場所〉である。古代の聖職者は医師とまじない師の性格を兼ねており,ギリシアの神殿ではアスクレピオス(医術の神),ヒュギエイアHygieia(健康をつかさどる女神)がまつられ,医者の養成所として,また病人の療養所として使われた。このような建築物の遺跡はギリシア,エジプト,バビロニア,インドなどに見られる。
キリスト教がヨーロッパに移入されて以来,施療院は旅行者や病人の収容所となった。4世紀ごろ,ローマ帝国におけるキリスト教教会は癩(らい)病,不具,盲目,貧者のための施療院を建てた。6世紀中ごろにはリヨンにオテル・デューHôtel Dieuがつくられた。また西アジア,北アフリカのイスラム世界でも,為政者は施療院の建設を行った。
ヨーロッパ中世の封建社会では,数多くの施療院が領主や個人の恤貧(じゆつひん)の形で,あるいは教会財産の一部を貧者にあてがう形で設立された(慈善事業)。14世紀までは聖職者が施療院の監督権限をもっていたが,その後世俗的傾向が強まり,16世紀以降,王権の絶対主義化が進むにつれてその傾向に拍車がかかった。フランスでは施療院の全般的改革がアンリ4世の時代に始まった。これによりパリには慈愛院Hôpital de la Charité,サン・ルイ施療院,憐憫La pitié院,健康回復Convalescents院,廃疾者救済院Incurables,イエズス院Nom-de-Jésusなどが次々に誕生した。これらの施療院は,他の教護院maison de correction,たとえばビセートルBicêtre,サルペトリエールSalpêtrièreとともに,1656年に設立された一般施療院hôpital généralの唯一の管理のもとに統合された。一般施療院は,社会的救済の理念を現実化すると同時に,乞食の監禁という社会的抑圧としても機能した,既存の権力機構とならぶ司法的組織でもあった。パリをモデルとする一般施療院は,その後リヨン,マルセイユ,オークセールにも設立されたが,すべて1789年の革命によって廃止された。
イギリスでは,18世紀になると科学の進歩が施療院の治療法にも反映し,1796年に天然痘の予防接種が始まった。またアメリカでは1713年にクエーカー教徒による施療院がフィラデルフィアにつくられ,32年には精神病者への治療も始められるようになった。
→救貧制度 →病院 →ホスピス
執筆者:志垣 嘉夫+山本 徹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報