日本歴史地名大系 「草香江・孔舎衛坂」の解説 草香江・孔舎衛坂くさかえ・くさえさか 大阪府:東大阪市旧枚岡市地区善根寺村草香江・孔舎衛坂七世紀後半から八世紀にかけて、河内低地には河内湖とよばれる湖沼が広がり、湖沼の末端は大阪湾に流出していた。その頃生駒山地西麓の布市(ぬのいち)・日下(くさか)一帯は草香江(日下江)とよばれる入江であったと考えられ、「古事記」雄略天皇段に載る歌謡に「日下江の 入江の蓮 花蓮 身の盛り人 羨しきろかも」とみえる。当地は古代日下郷の地で、生駒山から北に延びる山系の西側一帯は草香山(河内名所図会)ともよばれた。「日本書紀」神武天皇即位前紀戊午年三月条に「遡流而上りて、径に河内国の草香邑(くさかのむら)の青雲の白肩之津(しらかたのつ)に至る」とみえ、続けて四月条に次のようにある。<資料は省略されています>この戦いで神武天皇の兄五瀬命は負傷し、神武天皇は日に向かって征するのは天道に逆うとして兵を還し、南方より迂回を図る。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報