精選版 日本国語大辞典 「九鬼隆一」の意味・読み・例文・類語 くき‐りゅういち【九鬼隆一】 枢密顧問官。男爵。号成海。摂津三田(兵庫県)の生まれ。文部省にはいり、のち古社寺保存会会長・帝室博物館総長などを歴任。岡倉天心らの運動を助け、明治の美術行政に貢献した。嘉永五~昭和六年(一八五二‐一九三一) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「九鬼隆一」の解説 九鬼 隆一クキ リュウイチ 肩書枢密顧問官 旧名・旧姓旧姓=星崎 別名字=成海 生年月日嘉永5年8月(1852年) 出生地摂津国三田町 経歴摂津(兵庫)三田藩家老星崎貞幹の2男で、慶応2年16歳で丹波綾部藩家老九鬼隆周の養子となった。維新後上京、慶応義塾に学び、福沢諭吉の薫陶を受けた。大学南校勤務を振り出しに官途につき、文部少補時代、各地の寺社、古美術品などを調査、また明治12年には佐野常民の龍池会に参加、フェノロサに啓発され、政府の文教政策を反映、岡倉天心を配下に彼の活動を応援。博物館が宮内省図書寮所属となった21年、ワシントン特命全権公使から帰国、同省図書頭となり、博物館行政に活躍、のち帝国博物館総長に就任した。他に帝室技芸員選択委員、古社寺保存会会長、内外博覧会の審査総長、総裁などを歴任した。郷里の兵庫県三田に三田博物館を設立。枢密顧問官もつとめた。 没年月日昭和6年8月18日 家族息子=九鬼 周造(哲学者) 出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報 Sponserd by
20世紀日本人名事典 「九鬼隆一」の解説 九鬼 隆一クキ リュウイチ 明治期の美術行政家,男爵 枢密顧問官。 生年嘉永5年8月(1852年) 没年昭和6(1931)年8月18日 出生地摂津国三田町 旧姓(旧名)星崎 別名字=成海 経歴摂津(兵庫)三田藩家老星崎貞幹の2男で、慶応2年16歳で丹波綾部藩家老九鬼隆周の養子となった。維新後上京、慶応義塾に学び、福沢諭吉の薫陶を受けた。大学南校勤務を振り出しに官途につき、文部少補時代、各地の寺社、古美術品などを調査、また明治12年には佐野常民の龍池会に参加、フェノロサに啓発され、政府の文教政策を反映、岡倉天心を配下に彼の活動を応援。博物館が宮内省図書寮所属となった21年、ワシントン特命全権公使から帰国、同省図書頭となり、博物館行政に活躍、のち帝国博物館総長に就任した。他に帝室技芸員選択委員、古社寺保存会会長、内外博覧会の審査総長、総裁などを歴任した。郷里の兵庫県三田に三田博物館を設立。枢密顧問官もつとめた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「九鬼隆一」の解説 九鬼隆一 くき-りゅういち 1852-1931 明治時代の美術行政家。嘉永(かえい)5年8月7日生まれ。九鬼周造の父。丹波綾部(あやべ)藩(京都府)家老九鬼家の養子。慶応義塾で福沢諭吉にまなぶ。文部省にはいり,明治11年パリ万国博に出張して各国の美術事情を視察。帝国博物館の創設につくして22年初代総長となり,古美術の保護につとめた。昭和6年8月18日死去。80歳。摂津三田(兵庫県)出身。本姓は星野。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「九鬼隆一」の解説 九鬼 隆一 (くき りゅういち) 生年月日:1852年8月7日明治時代の美術行政家。帝国博物館総長1931年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by