日本歴史地名大系 「日根野村」の解説
日根野村
ひねのむら
〔中世〕
当村は九条家領日根庄を構成する四ヵ村の一で、文暦元年(一二三四)一二月二日の日根庄諸村田畠在家等注文案(九条家文書)に村名がみえる。なお「和泉国日根野・入山田二箇郷」(応長二年二月二五日「僧光憲請文」同文書)と郷名でよばれる場合もある。前掲注文案によると、日根野村は
嘉禎二年(一二三六)五月一七日の関東下知状案(九条家文書)によると、鎌倉幕府は六波羅に対し日根野村荒野と前木工権頭源盛長の堂敷地六町歩への地頭の非法を禁止するよう下知しているが、この堂がのち源盛長およびその子孫の菩提寺となった
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報