日本歴史地名大系 「昆陽寺」の解説
昆陽寺
こんようじ
陽布施屋 在河辺郡
陽里」とみえる。
陽布施屋の後身が
陽施院とすると所在地が異なり、別の施設とも考えられるが、いずれにせよこれらを継承するのが当寺と考えられている。
陽施院は貧民救済を目的としたことによる命名であるが、ともに営造された池溝を管理し、
独田一五〇町は、行基が孤児や身寄のない老人を憐れんで設置したもので、摂津国司が運用するとある。「延喜式」雑式にも「混陽院」の雑事は国司と別当僧がともに監督するとある。
独田の名称は「行基年譜」に、天平一三年聖武天皇が行基の願いに従って大国(インド)の給孤独園にあたる園を設けるために為奈野の地を与えたとあることを裏づける。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報