昆陽寺(読み)こんようじ

日本歴史地名大系 「昆陽寺」の解説

昆陽寺
こんようじ

[現在地名]伊丹市寺本二丁目

昆陽こや池の南方、国道一七一号(旧山陽道)の北側に位置する。こやでら・行基さんともよぶ。山陽道は当寺付近から大きく南に迂回して西へ向かった。崑崙山と号し、高野山真言宗本尊薬師如来。「行基年譜」によれば、天平三年(七三一)河辺かわべ山本やまもと村に「()陽施院」を建立したとあり、同年譜所引の天平十三年記には「布施屋 在河辺陽里」とみえる。陽布施屋の後身陽施院とすると所在地が異なり、別の施設とも考えられるが、いずれにせよこれらを継承するのが当寺と考えられている。

陽施院は貧民救済を目的としたことによる命名であるが、ともに営造された池溝を管理し、為奈いな野の開発経営の中心的役割をも担ったと思われる。「日本後紀」弘仁三年(八一二)八月二八日条によると、摂津国の独田一五〇町は、行基が孤児や身寄のない老人を憐れんで設置したもので、摂津国司が運用するとある。「延喜式」雑式にも「混陽院」の雑事は国司と別当僧がともに監督するとある。独田の名称は「行基年譜」に、天平一三年聖武天皇が行基の願いに従って大国(インド)の給孤独園にあたる園を設けるために為奈野の地を与えたとあることを裏づける。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「昆陽寺」の意味・わかりやすい解説

昆陽寺 (こやでら)

兵庫県伊丹市にある真言宗の寺。山号は崑崙山(こんろんざん)。731年(天平3)行基が摂津国河辺郡の昆陽里や山本里に開発設営した池・溝・布施屋の管理に建立した道場に由来する。741年行基は猪名野荒野をひらき惸独田けいどくでん)150町を当寺へ施入し,身寄りのない貧しい農民を救った。平安時代には当寺および惸独田の運営に国司が関与した。16世紀末兵火にかかり,その後しだいに諸堂舎が再建された。
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