日本大百科全書(ニッポニカ) 「明尊」の意味・わかりやすい解説
明尊
みょうそん
(971―1063)
平安後期の天台宗の僧。「めいそん」ともよぶ。京都生まれ。小野氏出身、小野道風(おののとうふう)の孫。園城寺(おんじょうじ)の智弁(ちべん)(余慶(よけい))に弟子入りし、智静(ちじょう)(勧修。945―1008)、慶祚(けいそ)(955―1020)、賀延(かえん)、智観(ちかん)(勝算。939―1011)に天台・密教を受学した。一条(いちじょう)天皇は八宗総博士と崇(あが)め、1028年(長元1)には権大僧都(ごんのだいそうず)にまで進み、園城寺長吏となった。1年にして辞任したが大僧正(そうじょう)に進み、ふたたび長吏となった。ときに天台座主(ざす)に任ぜられようとすると、比叡山(ひえいざん)の僧徒がこれを拒み、いわゆる比叡山の山門と、園城寺の寺門との確執は激しいものとなった。園城寺独自の戒壇建立を請い、また山門の妨害でならなかった。1048年(永承3)天台座主を命じられたが在職3日で辞任。円満院(えんまんいん)を充実し、晩年志賀寺に住し、円満院僧正、志賀(しが)僧正といわれる。
[木内曉央 2017年10月19日]