外からの光を通すように紙や絹を張った障子。現在では紙障子をいう。鎌倉時代の公家・武家の家屋で用いられ始め,書院造の流行とともに普及。民家でも室町時代の記録に現れる。採光に利点があり,座敷回りを中心に使われた。古くは夜間や降雨時に板戸と明障子とを交互に用いたが,雨のあたりやすい下部に板を張った腰付障子ができたり,外側に雨戸をしつらえるようになった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…新たな支配階級である武士の住居は寝殿造を継承したものであり,大きな変化は認められなかったが,部分的な変化が積み重ねられてゆく。それらは(1)外部に面した建具として明障子(あかりしようじ)が普及し,蔀戸と明障子,舞良戸(まいらど)と明障子という組合せが行われる。(2)建具の変化に従って円柱が大きな面を取った角柱に変化した。…
…和風建築に用いられる建具の一種。古くは戸,衝立(ついたて),襖(ふすま)などの総称であったが,現在は明障子(あかりしようじ)をさす。障子の語はすでに奈良時代の《西大寺資財流記帳》(780)に見られ,〈補陀羅山浄土変一鋪〉は〈障子絵〉で周囲に〈紫細布縁〉を施していたという。…
…その間仕切として用いられたのが襖で,そこにはやまと絵が描かれ,几帳や帷(とばり)などとともに華やかな空間を演出した。そして明障子(あかりしようじ)(現在の障子)が用いられ,部屋に畳が敷きつめられるようになると,次代の書院造の祖型が形成されることになる。なお下級貴族の住宅や,平安末期から鎌倉時代ごろの貴族の力が衰えてしまってからの住宅は,当然規模も小さく,例えば藤原定家の住宅は寝殿と中門廊,持仏堂,侍所,車宿などを持つのみで,対も南池もない(図3)。…
…扉のように,開口部に取り付けて,使用者の意志によって出入りするものに対し開閉できる機能をもつものの総称。出入りするものには,人,物,雨,空気,光,視線,熱,音などがある。これらの出入りを,ある場合には開口部のように自由に許し,ある場合には壁などのように仕切るという,相反する二つの機能を解決するためのものである。したがって,歴史的には,戸,障子,ふすま,ついたて,屛風のように,動かせる壁として,その二つの機能の解決をはかる機構のものが多い。…
※「明障子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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