春山行夫(読み)ハルヤマユキオ

デジタル大辞泉 「春山行夫」の意味・読み・例文・類語

はるやま‐ゆきお〔‐ゆきを〕【春山行夫】

[1902~1994]詩人評論家愛知の生まれ。本名、市橋わたる。上京して雑誌詩と詩論」を創刊詩集月の出る町」「植物の断面」、評論詩の研究」「文学評論」など。

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改訂新版 世界大百科事典 「春山行夫」の意味・わかりやすい解説

春山行夫 (はるやまゆきお)
生没年:1902-94(明治35-平成6)

詩人,評論家,ジャーナリスト,文化史家。名古屋市生れ。本名市橋渉。名古屋時代から詩人として活動し,1924年上京。28年厚生閣書店の雑誌《詩と詩論》の編集を担当,海外新文学の紹介に貢献する一方,みずからも詩人・詩論家として当時のモダニズム文学隆盛に大きな影響力を発揮した。のち第一書房の雑誌《セルパン》,さらに戦前最後の前衛詩誌《新領土》の編集に当たる。当時の主著に《詩の研究》(1931),《ジョイス中心の文学運動》(1933)がある。第2次大戦後,一時海外文化紹介誌《雄鶏通信》の編集に当たったが,その後は独特の百科全書的博識を生かして大著《花の文化史》全3巻(1954-57)に代表される文化史の著述を数多く世に問うている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「春山行夫」の意味・わかりやすい解説

春山行夫
はるやまゆきお
(1902―1994)

詩人、批評家、ジャーナリスト、文化史家。本名市橋渉(わたる)。名古屋市生まれ。名古屋市立商業中退。夜学で英語を学ぶ。1928年(昭和3)9月『詩と詩論』を創刊。自ら企画した『現代の芸術と批評叢書(そうしょ)』全23巻(1929.4~32.7)をはじめ、『二十世紀英文学の新運動』(1933)、『文学評論』(1934)でモダニズム文学の史的形成に主導的役割を果たした。『植物断面』(1929)でフォルマリスムの詩的実験を試み、『詩の研究』(1931)、『新しき詩論』(1940)で欧米の詩的思考や方法論を紹介。『セルパン』『詩法』『新領土』『雄鶏(おんどり)通信』など、つねに世界的同時性で現代文化の美と思想の運命を洞察する編集理念は高く評価される。第二次世界大戦後は独自の文化哲学の実践形態として、『花の文化史』『ビール文化史』『おしゃれの文化史』『西洋雑学案内』『万国博』などを刊行訳書に『フランス現代文学の思想的対立』(R・ミショオ原著、1937)がある。

[千葉宣一]

『小島輝正著『春山行夫ノート』(1980・蜘蛛出版社)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「春山行夫」の解説

春山行夫 はるやま-ゆきお

1902-1994 昭和-平成時代の詩人,評論家。
明治35年7月1日生まれ。昭和3年厚生閣にはいり「詩と詩論」創刊に参加,海外のあたらしい文芸思潮を紹介。のち「セルパン」「新領土」などの編集を手がける。戦後は「雄鶏(おんどり)通信」の編集,文化史研究,百科事典監修などで知られた。平成6年10月10日死去。92歳。愛知県出身。名古屋市立商業中退。本名は市橋渉(わたる)。詩集に「植物の断面」,著作に「新しき詩論」「花の文化史」など。

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百科事典マイペディア 「春山行夫」の意味・わかりやすい解説

春山行夫【はるやまゆきお】

詩人,評論家,文化史家。名古屋市生れ。本名市橋渉。1928年詩歌界にモダニズムの新風を吹き込んだ詩誌《詩と詩論》の創刊号から編集を担当,1935年から文芸誌《セルパン》,その後前衛詩誌《新領土》の編集にも携わり,自らも詩人・評論家として当時の文学界に大きな影響力を発揮した。詩集に《植物の断面》,主著に《詩の研究》などがある。第2次大戦後は文化史の研究に打ち込み,《花の文化史》《春山行夫博物史》などを著した。本の収集家としても知られる。

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