昭和初期の季刊詩誌。1928年9月創刊。31年12月までに14冊(他に別冊1冊)を刊行,32年3月からは《文学》と改題して6冊(他に別冊1冊)を出し,33年6月に終刊。当時の芸術派の新進詩人を広く集め,安西冬衛,上田敏雄,北川冬彦,近藤東,滝口武士,竹中郁,春山行夫,三好達治,西脇順三郎,吉田一穂,滝口修造らの詩人が,時代の先端を行く新鮮で活発な詩作活動を展開した。同誌上に発表された作品には,短詩・新散文詩,フォルマリスムの詩,シュルレアリスムの詩,シネ・ポエムなど,多様な詩風・傾向が含まれているが,全体として見ると,エスプリ・ヌーボー(フランス語で新精神の意)とポエジーの純化を唱えた編集者春山の意図どおりに,詩法探求への意欲,実験的姿勢と反写実主義的態度,イメージとフォルムの重視,機知的感覚とドライな知性による造型志向などで共通し,モダニズムの詩風を詩壇に定着させる役割を果たした。なお,この雑誌には海外の新詩,新文学とその理論が次々と翻訳,紹介され,一面で海外文学の紹介・研究誌的な性格をも呈した。
執筆者:小海 永二
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
詩雑誌。1928年(昭和3)9月創刊、33年6月終刊。全20冊。季刊。第15号(1932.3)より『文学』と改題。別冊『現代英文学評論』(1930.11)、年刊『小説』(1932.1)もあわせ厚生閣書店発行。パリの国際的前衛誌『transition』がモデル。新散文詩(北川冬彦、安西冬衛(ふゆえ))、シュルレアリスム(西脇(にしわき)順三郎、上田敏雄(としお)、滝口修造)、フォルマリスム(春山行夫(ゆきお)、北園克衛(かつえ))、シネ・ポエム(竹中郁(いく)、近藤東(あずま))など、「今日のポエジー」を探究する多彩な方法的実験の磁場となり、昭和詩史の骨格を形成した。ESPRIT NOUVEAU(エスプリヌウボオ)を旗幟(きし)に、バレリー、ジッド、ジョイス、T・S・エリオット等を特集するなど、欧米のモダニズム文学の直接的影響を受け、自動記述法(オートマチスム)、内的独白(モノローグ・アンテリエール)、意識の流れなどの方法技術を導入。新興芸術派や心理主義文学の道を開拓。昭和文学の詩的青春の記念碑的詩誌である。『詩と詩論』の文学運動の一環として、春山行夫の編集企画した『現代の芸術と批評叢書(そうしょ)』全23冊(1929.4~1932.7)も、モダニズム文学の史的形成に鮮烈な衝撃を与えて注目される。
[千葉宣一]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…マルクス主義系詩人では昭和前期に小熊秀雄が出て,叙事詩にもすぐれた作品を示した。大正末期には同人詩誌が全国的に多く生まれたが,その芸術前衛的傾向を吸収して一大勢力としたのが春山行夫編集の《詩と詩論》(1928創刊)である。北川冬彦,安西冬衛,三好達治,西脇順三郎,近藤東,竹中郁,吉田一穂,北園克衛,村野四郎その他多くの新進詩人たちが〈エスプリ・ヌーボー(新精神)〉の呼び声にふさわしい仕事をここに発表した。…
…〈民衆詩派〉などによって,詩の普及をもたらすのに大いに役だったが,同時に,詩を救いがたい混乱にみちびいたこともたしかである。〈民衆詩派〉以後のそういう無詩学的な堕落に抗しておこったのが,昭和初頭の《詩と詩論》の運動で,これによって,韻文否定の自由詩は,さらに一転して,そこに新しいポエジーをつくりだしたのである。《詩と詩論》の運動を経たのちは,〈自由詩〉という名称はもちいられないで,それに代わって,もっぱら〈現代詩〉といわれ,今日にいたっている。…
… 東アジア圏では,日本にのみこの運動の影響が及んだ。20年代の後半に西脇順三郎らの紹介によって,若い詩人たちの間に関心が芽生え,《詩と詩論》などいくつかの雑誌が刊行された。しかし最初の本格的なシュルレアリスム的活動は,滝口修造による自動記述の実験(1929‐31)とブルトン著《シュルレアリスムと絵画》(1928)の翻訳(1930)である。…
※「詩と詩論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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