春日顕国(読み)かすが あきくに

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「春日顕国」の解説

春日顕国 かすが-あきくに

?-1344 南北朝時代武将
南朝につかえ,建武(けんむ)3=延元元年侍従となる。北畠顕家(あきいえ)にしたがい,常陸(ひたち)・下野(しもつけ)で活躍。のち常陸の小田城によった北畠親房(ちかふさ)をたすける。康永2=興国4年関城・大宝城が陥落,親房が吉野へ敗走したのちも,東国南朝方の中心として奮戦したが捕らえられ,康永3=興国5年3月9日殺された。名はのち顕時。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「春日顕国」の意味・わかりやすい解説

春日顕国
かすがあきくに

[生]?
[没]興国5=康永3(1344).3.9.
南北朝時代の南朝の武将。のち顕時と改名。北畠顕家,親房を助け東国で活躍,のち興良親王を補佐し,親房が吉野に帰ったあとも奮闘したが捕えられ殺された。

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世界大百科事典(旧版)内の春日顕国の言及

【大宝城】より

…鎌倉末期,下妻氏は北条氏の圧迫を受け勢力をそがれるが,建武新政期その反動もあってか,この地域は南朝方の有力な根拠地となる。1341年(興国2∥暦応4)春日顕国は興良親王を奉じ,城主下妻政泰に迎えられて,この城に入る。以後2年にわたる激戦のすえ43年11月,大宝沼北岸の関城とともに落ち,城主政泰は戦死した。…

※「春日顕国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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