中世の常陸国の豪族小田氏(おだうじ)の居城。茨城県つくば市小田にあった。小田氏は下野の豪族宇都宮氏の庶流八田知家が,筑波山麓の小田へ進出して小田氏を称したのに始まる。知家は常陸国守護に任じられ,在来の常陸平氏の一族の勢力を圧倒し,常陸南半に勢力を扶植した。小田城は鎌倉時代初期,常陸国守護所の機能を有したと思われる。鎌倉中期以後,小田氏は常陸に進出する北条氏に圧迫され,その勢力は衰えた。建武の内乱の際,小田氏は南朝方となった。1338年(延元3・暦応1)北畠親房はこの城に入り,《神皇正統記》を執筆した。室町~戦国時代を通じ小田氏の本拠地であったが,たびたびの戦乱で小田氏の勢力は後退し,1573年(天正1)ついに小田城を放棄した。城跡は北と東に筑波と支峰宝篋(ほうきよう)山をのぞみ,西から南に関東平野が広がる景勝地に位置する。全域約1000a。平城で土塁,濠址が残る。本丸跡は国指定史跡である。
執筆者:堤 禎子
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茨城県つくば市にあった中世~近世初頭の城。北畠親房が「神皇正統記」を著した場所として知られ,小田氏累代の本拠であった。筑波山の南側,宝篋(ほうきょう)山南麓にある。南北朝期は南朝方の有力拠点で,戦国期の小田氏治の頃はたびたび佐竹氏に攻められた。土塁をともなった方形の郭が主郭で,これを囲いこむように堀で区画された馬出しや帯郭などが配される。北側にある標高119mの前山も城域とし,広い面積にわたり縄張される。はじめ館として出発したが,徐々に改修が加えられ,戦国期には大規模な城館になった。現在一部が住宅地などになっているが,発掘調査で柱穴・堀・井戸などの遺構が確認され,かわらけや内耳鍋などが出土。城跡は国史跡。
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…北条付近の多気(たけ)には平安時代に大掾(だいじよう)氏が拠ったが,鎌倉初期に小田氏に追い落とされた。小田氏が築いた小田城では南北朝期に北畠親房が《神皇正統記》を著している。中心集落の北条は古くは筑波山の登山口で,周辺農村の小商業中心をなし,山麓南斜面にある筑波は筑波山神社の鳥居前町として栄えた。…
※「小田城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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