春風亭柳枝(読み)しゅんぷうていりゅうし

日本大百科全書(ニッポニカ) 「春風亭柳枝」の意味・わかりやすい解説

春風亭柳枝
しゅんぷうていりゅうし

落語家

[関山和夫]

初代

(?―1868)初代麗々亭柳橋(れいれいていりゅうきょう)門人。燕花(えんか)から春風亭柳枝となり、『九州吹戻し』『三代吉(みよきち)殺し』など人情噺(ばなし)を得意とした。

[関山和夫]

2代

(1821―74)初代門人。栄枝(えいし)から2代目襲名。俳人で簑守庵二柳(みのもりあんにりゅう)と号した。

[関山和夫]

3代

(1852―1900)本名鈴木文吉。初代柳亭燕枝(りゅうていえんし)門下。燕花、燕寿(えんじゅ)、燕路(えんろ)を経て3代目襲名。「蔵前(くらまえ)の大師匠」といわれた。

[関山和夫]

4代

(1868―1927)本名飯森(いいもり)和平。初代鶴枝(かくし)門下から3代柳枝門に移り、枝雀(しじゃく)、都川扇之助、さん枝、柏枝(はくし)、小柳枝を経て4代目襲名。1921年(大正10)門弟に5代を譲り、華柳(かりゅう)となる。『柳枝落語集』(1911)を残す。

[関山和夫]

6代

(1881―1932)本名松田幸太郎。3代柳家小さん門下から4代柳枝門下に移る。小柳枝から柳枝を襲名。当時、5代柳亭左楽(さらく)を「五代目」とよんだので、自ら6代と称した。

[関山和夫]

7代

(1893―1941)本名渡辺金太郎。5代左楽門。柳亭左太郎、楓枝(ふうし)、痴楽(ちらく)、芝楽(しばらく)から7代目襲名。俗に「えへへの柳枝」という。

[関山和夫]

8代

(1905―59)本名島田勝巳(かつみ)。音曲師柳家枝太郎の子。4代門下。枝女太(しめた)、睦の太郎、柏枝、芝楽を経て8代目襲名。

[関山和夫]

『『八代目春風亭柳枝全集』全1巻(1977・弘文出版)』

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改訂新版 世界大百科事典 「春風亭柳枝」の意味・わかりやすい解説

春風亭柳枝 (しゅんぷうていりゅうし)

落語家の芸名。(1)初代(?-1868(明治1)) 初代麗々亭柳橋門下。《九州吹き戻し》など人情噺の名手として知られた。初代談洲楼燕枝(えんし)の師にあたる。(2)2代(1821-74・文政4-明治7) 初代門下。(3)3代(1852-1900・嘉永5-明治33) 本名鈴木文吉。初代談洲楼燕枝門下。〈蔵前の大師匠〉と呼ばれ,柳派頭取として重きをなした。(4)4代(1868-1927・明治1-昭和2) 本名飯盛和平。3代門下。晩年は華柳と称し,ラジオ放送中に急死した。(5)6代(1880-1931・明治13-昭和6) 本名松田幸太郎。4代門下。本来は5代にあたるが,5代柳亭左楽が〈5代目〉の通称だったのをはばかって,6代を称した。(6)7代(1893-1941・明治26-昭和16) 本名渡辺金太郎。5代左楽門下。陽気な高座で,〈えへへの柳枝〉と呼ばれた。(7)8代(1905-59・明治38-昭和34) 本名島田勝巳。4代門下であったが,のちに6代の預かり弟子となり,芝楽(しばらく)を経て8代柳枝を襲名した。堅実な芸風で,晩年はつやを増した。《野ざらし》《王子の狐》を得意とした。
執筆者:

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「春風亭柳枝」の解説

春風亭 柳枝(8代目)
シュンプウテイ リュウシ


職業
落語家

本名
島田 勝己

生年月日
明治38年 12月15日

出生地
東京

経歴
父は音曲師柳家枝太郎。大正9年柳家枝女太の名で初高座を務め、12年睦太郎と改め、昭和2年神田白梅で春風亭伯枝と名乗り真打となった。9年柳亭芝楽を襲名、18年8代目春風亭柳枝を襲名した。そつのない芸で「宗論」「王子の狐」が得意、踊りもうまかった。

没年月日
昭和34年 10月9日 (1959年)

伝記
談志絶倒 昭和落語家伝落語―知れば知るほど池内紀の仕事場〈7〉名人たちの世界地球の上に朝がくる地球の上に朝がくる―懐かしの演芸館落語長屋の知恵 立川 談志 著,田島 謹之助 写真橘 左近 著池内 紀 著池内 紀 著池内 紀 著矢野 誠一 著(発行元 大和書房実業之日本社みすず書房筑摩書房河出書房新社青蛙房 ’07’07’04’92’87’86発行)


春風亭 柳枝(4代目)
シュンプウテイ リュウシ


職業
落語家

本名
飯盛 和平

別名
後名=春風亭 華柳

生年月日
明治1年 9月

出生地
江戸(東京都)

経歴
3代目柳枝の門に入り、小柳枝を経て4代目柳枝を襲名した。温厚な人格者で、晩年隠退して華柳と名乗った。

没年月日
昭和2年 4月20日 (1927年)

伝記
3分間で読む人生の知恵 花岡 大学 著(発行元 同朋舎出版 ’96発行)


春風亭 柳枝(6代目)
シュンプウテイ リュウシ


職業
落語家

本名
松田 幸太郎

生年月日
明治14年 1月

出身地
神奈川県

学歴
横浜高商卒

経歴
高商卒業後、貿易商社員となったが、近代落語の名人といわれた3代目柳家小さんに入門して落語を修業、のち4代目春風亭柳枝に師事、5代柳枝を襲名したが、5代柳亭左楽とまぎらわしいというので、6代目を称した。大井の師匠といわれた。

没年月日
昭和7年 3月1日 (1932年)


春風亭 柳枝(7代目)
シュンプウテイ リュウシ


職業
落語家

本名
渡辺 金太郎

生年月日
明治26年

出生地
東京

経歴
明治中期、柳亭左楽の門に入り、左太郎と名乗った。痴楽で真打となり、小柄で明るい高座を務めた。その後芝楽と改め、柳枝となった。「エッヘッヘッ」という口ぐせから「エヘヘの柳枝」といわれた。

没年月日
昭和16年 1月14日 (1941年)


春風亭 柳枝(3代目)
シュンプウテイ リュウシ


職業
落語家

本名
鈴木 文吉

生年月日
嘉永5年 9月23日

出生地
江戸(東京都)

経歴
柳亭燕枝に入門、燕花と名乗った後、燕寿と改名、明治6年真打ちとなって燕時とした。28年に3代目柳枝を許された。人望ある柳派の頭取。

没年月日
明治33年 11月14日 (1900年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「春風亭柳枝」の解説

春風亭 柳枝(6代目)
シュンプウテイ リュウシ

明治〜昭和期の落語家



生年
明治14(1881)年1月

没年
昭和7(1932)年3月1日

出身地
神奈川県

本名
松田 幸太郎

学歴〔年〕
横浜高等商業学校卒

経歴
高商卒業後、貿易商社員となったが、近代落語の名人といわれた3代目柳家小さんに入門して落語を修業、のち4代目春風亭柳枝に師事、5代柳枝を襲名したが、5代柳亭左楽とまぎらわしいというので、6代目を称した。大井の師匠といわれた。


春風亭 柳枝(8代目)
シュンプウテイ リュウシ

大正・昭和期の落語家



生年
明治38(1905)年12月15日

没年
昭和34(1959)年10月9日

出生地
東京

本名
島田 勝己

経歴
父は音曲師柳家枝太郎。大正9年柳家枝女太の名で初高座を務め、12年睦太郎と改め、昭和2年神田白梅で春風亭伯枝と名乗り真打となった。9年柳亭芝楽を襲名、18年8代目春風亭柳枝を襲名した。そつのない芸で「宗論」「王子の狐」が得意、踊りもうまかった。


春風亭 柳枝(7代目)
シュンプウテイ リュウシ

大正・昭和期の落語家



生年
明治26(1893)年

没年
昭和16(1941)年1月14日

出生地
東京

本名
渡辺 金太郎

経歴
明治中期、柳亭左楽の門に入り、左太郎と名乗った。痴楽で真打となり、小柄で明るい高座を務めた。その後芝楽と改め、柳枝となった。「エッヘッヘッ」という口ぐせから「エヘヘの柳枝」といわれた。


春風亭 柳枝(4代目)
シュンプウテイ リュウシ

明治・大正期の落語家



生年
明治1年9月(1868年)

没年
昭和2(1927)年4月20日

出生地
江戸

本名
飯盛 和平

別名
後名=春風亭 華柳

経歴
3代目柳枝の門に入り、小柳枝を経て4代目柳枝を襲名した。温厚な人格者で、晩年隠退して華柳と名乗った。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「春風亭柳枝」の解説

春風亭柳枝(初代)

没年:明治1.7.17(1868.9.3)
生年:文化10(1813)
江戸後期の落語家。幼名亀吉。江戸生まれ。16歳で初代麗々亭柳橋に入門,従来の人情咄の演出を一変させた。「九州吹き戻し」「美代吉殺し」を得意とし,小栗判官物の合巻『照天松操月鹿毛』(1854~58)を刊行した。酒を好み戒名も酒遊院柳枝日新信士(のち柳枝日喜)という。門下より初代談洲楼燕枝を出す。名跡は昭和34(1959)年に没した8代におよぶ。<参考文献>関根黙庵『講談落語考』(改題増補部加筆,1967)

(延広真治)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「春風亭柳枝」の解説

春風亭柳枝(6代) しゅんぷうてい-りゅうし

1881-1932 明治-昭和時代前期の落語家。
明治14年1月生まれ。貿易商社員から3代柳家小さんに入門。4代柳枝の門にうつり,大正2年3代小柳枝の名で真打。10年5代柳枝を襲名したが,「5代目」とよばれていた5代柳亭左楽(さらく)に遠慮し,6代と称した。昭和7年3月1日死去。52歳。神奈川県出身。横浜商業卒。本名は松田幸太郎。

春風亭柳枝(初代) しゅんぷうてい-りゅうし

1813-1868 江戸時代後期の落語家。
文化10年生まれ。初代麗々亭柳橋(れいれいてい-りゅうきょう)の門人。「九州吹戻し」「三代吉(みよきち)殺し」など人情噺(ばなし)を得意とした。門下に2代柳枝,初代談洲楼燕枝(だんしゅうろう-えんし)ら。慶応4年7月17日死去。56歳。江戸出身。幼名は亀吉。

春風亭柳枝(7代) しゅんぷうてい-りゅうし

1893-1941 明治-昭和時代前期の落語家。
明治26年9月生まれ。5代柳亭左楽(さらく)の門下。大正9年2代柳亭痴楽(ちらく)の名で真打,昭和9年7代柳枝を襲名。噺(はなし)の合間を「えへへ」とつなぐ癖から「えへへの柳枝」とよばれた。昭和16年1月14日死去。49歳。東京出身。本名は渡辺金太郎。

春風亭柳枝(8代) しゅんぷうてい-りゅうし

1905-1959 大正-昭和時代の落語家。
明治38年12月15日生まれ。4代柳枝の門下。大正14年柏枝(はくし)の名で真打,昭和18年8代柳枝を襲名。「熊の皮」「王子の狐(きつね)」などを得意とし,後進の育成につとめた。昭和34年10月8日死去。53歳。東京出身。本名は島田勝巳。

春風亭柳枝(3代) しゅんぷうてい-りゅうし

1852-1900 明治時代の落語家。
嘉永(かえい)5年9月23日生まれ。初代柳亭燕枝(りゅうてい-えんし)の門下。明治6年初代柳亭燕路の名で真打,11年ごろ3代を襲名。蔵前の大師匠とよばれ,柳派の頭取となる。明治33年11月14日死去。49歳。江戸出身。本名は鈴木文吉。

春風亭柳枝(2代) しゅんぷうてい-りゅうし

1822-1874 幕末-明治時代の落語家。
文政5年生まれ。初代柳枝の門人。初名は栄枝,のち初代柳朝。師匠の没後の明治2年2代となる。簑守庵二柳(みのもりあん-にりゅう)の号で俳句をたしなんだ。明治7年10月12日死去。53歳。

春風亭柳枝(4代) しゅんぷうてい-りゅうし

1868-1927 明治-大正時代の落語家。
明治元年9月生まれ。3代柳枝の門下。明治29年初代小柳枝の名で真打,34年4代を襲名。隠退後,華柳と称した。昭和2年4月20日死去。60歳。東京出身。本名は飯森和平。

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367日誕生日大事典 「春風亭柳枝」の解説

春風亭 柳枝(8代目) (しゅんぷうてい りゅうし)

生年月日:1905年12月15日
大正時代;昭和時代の落語家
1959年没

春風亭 柳枝(3代目) (しゅんぷうてい りゅうし)

生年月日:1852年9月23日
明治時代の落語家
1900年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の春風亭柳枝の言及

【春風亭柳枝】より

…落語家の芸名。(1)初代(?‐1868(明治1)) 初代麗々亭柳橋門下。《九州吹き戻し》など人情噺の名手として知られた。初代談洲楼燕枝(えんし)の師にあたる。(2)2代(1821‐74∥文政4‐明治7) 初代門下。(3)3代(1852‐1900∥嘉永5‐明治33) 本名鈴木文吉。初代談洲楼燕枝門下。〈蔵前の大師匠〉と呼ばれ,柳派の頭取として重きをなした。(4)4代(1868‐1927∥明治1‐昭和2) 本名飯盛和平。…

【落語】より


[幕末の江戸落語]
 1842年(天保13)の改革策によって,寄席の数もそれ以前の120余軒から15軒に制限されて衰微した江戸落語界も,改革の中心人物水野忠邦の失脚によって制限が撤廃されるとしだいに復興し,人情噺,芝居噺が流行したが,さらに三題噺の復活から隆盛に向かった。〈粋狂連(すいきようれん)〉〈興笑連(きようしようれん)〉などの三題噺のグループが生まれ,狂言作者の瀬川如皐(じよこう),河竹新七(のちの河竹黙阿弥(もくあみ)),戯作者の山々亭有人(さんさんていありんど),仮名垣魯文(かながきろぶん),絵師の一恵斎芳幾(いつけいさいよしいく)などに,金座役人高野酔桜軒(すいおうけん),大伝馬町の豪商勝田某(春の舎(や)幾久)などをはじめとする江戸の文人や通人,落語家の初代春風亭柳枝(しゆんぷうていりゆうし),3代柳亭左楽(りゆうていさらく)(?‐1872),初代三遊亭円朝などが参加して,三題噺の自作自演に熱中した。このグループ活動を契機として,幕末から明治にかけての東京落語界の中心人物になる円朝が成長したことは意義深かった。…

【春風亭柳枝】より

…落語家の芸名。(1)初代(?‐1868(明治1)) 初代麗々亭柳橋門下。《九州吹き戻し》など人情噺の名手として知られた。初代談洲楼燕枝(えんし)の師にあたる。(2)2代(1821‐74∥文政4‐明治7) 初代門下。(3)3代(1852‐1900∥嘉永5‐明治33) 本名鈴木文吉。初代談洲楼燕枝門下。〈蔵前の大師匠〉と呼ばれ,柳派の頭取として重きをなした。(4)4代(1868‐1927∥明治1‐昭和2) 本名飯盛和平。…

【春風亭柳枝】より

…落語家の芸名。(1)初代(?‐1868(明治1)) 初代麗々亭柳橋門下。《九州吹き戻し》など人情噺の名手として知られた。初代談洲楼燕枝(えんし)の師にあたる。(2)2代(1821‐74∥文政4‐明治7) 初代門下。(3)3代(1852‐1900∥嘉永5‐明治33) 本名鈴木文吉。初代談洲楼燕枝門下。〈蔵前の大師匠〉と呼ばれ,柳派の頭取として重きをなした。(4)4代(1868‐1927∥明治1‐昭和2) 本名飯盛和平。…

【春風亭柳枝】より

…落語家の芸名。(1)初代(?‐1868(明治1)) 初代麗々亭柳橋門下。《九州吹き戻し》など人情噺の名手として知られた。初代談洲楼燕枝(えんし)の師にあたる。(2)2代(1821‐74∥文政4‐明治7) 初代門下。(3)3代(1852‐1900∥嘉永5‐明治33) 本名鈴木文吉。初代談洲楼燕枝門下。〈蔵前の大師匠〉と呼ばれ,柳派の頭取として重きをなした。(4)4代(1868‐1927∥明治1‐昭和2) 本名飯盛和平。…

【春風亭柳枝】より

…落語家の芸名。(1)初代(?‐1868(明治1)) 初代麗々亭柳橋門下。《九州吹き戻し》など人情噺の名手として知られた。初代談洲楼燕枝(えんし)の師にあたる。(2)2代(1821‐74∥文政4‐明治7) 初代門下。(3)3代(1852‐1900∥嘉永5‐明治33) 本名鈴木文吉。初代談洲楼燕枝門下。〈蔵前の大師匠〉と呼ばれ,柳派の頭取として重きをなした。(4)4代(1868‐1927∥明治1‐昭和2) 本名飯盛和平。…

【春風亭柳枝】より

…落語家の芸名。(1)初代(?‐1868(明治1)) 初代麗々亭柳橋門下。《九州吹き戻し》など人情噺の名手として知られた。初代談洲楼燕枝(えんし)の師にあたる。(2)2代(1821‐74∥文政4‐明治7) 初代門下。(3)3代(1852‐1900∥嘉永5‐明治33) 本名鈴木文吉。初代談洲楼燕枝門下。〈蔵前の大師匠〉と呼ばれ,柳派の頭取として重きをなした。(4)4代(1868‐1927∥明治1‐昭和2) 本名飯盛和平。…

【春風亭柳枝】より

…落語家の芸名。(1)初代(?‐1868(明治1)) 初代麗々亭柳橋門下。《九州吹き戻し》など人情噺の名手として知られた。初代談洲楼燕枝(えんし)の師にあたる。(2)2代(1821‐74∥文政4‐明治7) 初代門下。(3)3代(1852‐1900∥嘉永5‐明治33) 本名鈴木文吉。初代談洲楼燕枝門下。〈蔵前の大師匠〉と呼ばれ,柳派の頭取として重きをなした。(4)4代(1868‐1927∥明治1‐昭和2) 本名飯盛和平。…

※「春風亭柳枝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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