日本大百科全書(ニッポニカ) 「智周」の意味・わかりやすい解説
智周
ちしゅう
(668―723)
中国、唐代の僧。中国法相(ほっそう)宗第三祖。生没年に異説があるほか、生涯の事跡についても不明な面が多い。俗姓は徐(じょ)氏。19歳で出家し、初め天台宗の学を修めたが、23歳のとき法相宗第二祖慧沼(えしょう)(648―714)に師事して法相唯識(ゆいしき)を学び、のち濮陽(ぼくよう)(河南省)の報城寺に住して法相宗義の宣揚に努めたので、濮陽大師とも称せられる。著書には、唯識三箇(さんが)の疏(しょ)の一つに数えられる『成唯識論演秘(じょうゆいしきろんえんぴ)』のほか、『成唯識論掌中枢要記(しょうちゅうすようき)』『成唯識論了義燈記(りょうぎとうき)』『因明入正理論前記(いんみょうにっしょうりろんぜんき)』および『後記』などがある。智周没後、中国法相宗は急速に衰えたが、その伝統は、彼に就いて学んだ日本の智鳳(ちほう)(生没年不詳)、智鸞(ちらん)(生没年不詳)、智雄(ちゆう)(生没年不詳)、さらに玄昉(げんぼう)などによって伝えられ、南都六宗の一つとされた。
[袴谷憲昭 2017年3月21日]