日本歴史地名大系 「木之本宿」の解説
木之本宿
きのもとしゆく
北国街道の宿駅、宿の南部から北国脇往還が南方へ分岐する交通の要衝。元禄一一年(一六九八)の木之本村庄屋十右衛門・同喜右衛門留記(木之本区有文書)によれば、本陣・脇本陣・問屋・馬持・旅籠および十数戸の商舗と人家が街道の東西両側に並び、街路は中央に水路を通し、柳が植えられていた。街道に面する民家の間口は二―一五間で、うち問屋の庄左衛門(持高一一石余・馬持)は間口一五間、本役の勘右衛門(持高二石余・馬持・本陣)は一一間、本役郷右衛門(持高五石余・本陣)は一〇間二尺。のち本陣役は竹内宇左衛門家の世襲となった。元文四年(一七三九)一月の大火では町の大半、棟数二七〇軒余が焼け、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報