日本大百科全書(ニッポニカ) 「木喰」の意味・わかりやすい解説
木喰
もくじき
火の入った食物をとらず、木の実や果実のみを食して、肉類、米穀、野菜を常用しない修行。この木喰戒で修行する僧侶(そうりょ)を木喰(木食)上人(しょうにん)といい、あまたいるなかでとくに有名なのは桃山時代の高野山(こうやさん)の僧で、豊臣(とよとみ)秀吉とも親交のあった木食応其(おうご)、木彫りの仏像の制作で知られる木喰五行明満(ごぎょうみょうまん)(1718―1810)、木喰但唱(たんしょう)(17世紀後半に活躍)などである。
五行明満は江戸後期の僧侶で、木喰行道(ぎょうどう)、木喰菩薩(ぼさつ)などと名のっている。甲斐(かい)国(山梨県)西八代(にしやつしろ)郡古関(ふるせき)村(現南巨摩(みなみこま)郡身延(みのぶ)町)丸畑(まるばたけ)に生まれ、22歳で出家、45歳のとき相模(さがみ)国(神奈川県)大山で木喰観海に木喰戒を受けた。1773年(安永2)日本回国の願を発し、93歳で没するまで三十数年間を巡礼に終始し、その足跡は遠く北海道から九州の南端にまで及ぶ。その生涯は寺を建て、仏像を刻むなど、伝道一途であった。彼の造像は形式にとらわれない自由なもので、沈滞した江戸の仏像彫刻界にあって初期の円空と並んで、彫刻としての純粋さをみることができる。作品には、太った円満な相の像が多く、俗に微笑仏などともよばれている。忿怒(ふんぬ)相のものでさえ、ユーモラスな感じを受ける像が多く、約300体の遺作が知られている。
[佐藤昭夫 2017年3月21日]
『『新装柳宗悦選集9 木喰上人』(1972・春秋社)』▽『五来重著『円空と木喰』(1997・淡交社)』▽『朝日新聞社編・刊『木喰の微笑仏』(1997)』▽『木喰会編『木喰仏巡礼』新装版(2000・有峰書店新社)』▽『寺島郁雄写真、矢島新解説『木喰仏』(2003・東方出版)』