木村亀二(読み)きむらかめじ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「木村亀二」の意味・わかりやすい解説

木村亀二
きむらかめじ
(1897―1972)

学者。とくに刑事法・法哲学専攻。東北大学名誉教授法学博士。明治30年11月5日、兵庫県姫路市に生まれ、1921年(大正10)に東京帝国大学法学部卒業後、同助手となる。その後、法政大学講師を経て、1926年5月から、九州帝国大学教授として法理学講座を担当したが、1927年(昭和2)九州帝国大学法文学部内訌(ないこう)事件(いわゆる九大事件)により大学を追われる。翌1928年に法政大学で刑法を講じ、1931年同教授、1936年からは東北帝国大学教授として刑法講座を担当し、1962年(昭和37)同大学を退官後、明治大学および駒沢(こまざわ)大学の教授として刑法を講じた。その師牧野英一とともに、日本の新派刑法学を代表する刑法学者であり、同時に法哲学から刑事政策に及ぶ広い学問領域で業績を残している。刑法学の領域では、戦後、新旧両学派の理論的対立に関して客観主義と主観主義との統合を目ざす立場から、ドイツの目的的行為論に接近し、行為者の主観(犯罪的意思)を重視するとともに旧派刑法学における構成要件概念をも導入する刑法理論を展開した。刑法に関する代表的著作として『刑法の基本概念』(1948)、『刑法総論』(1959、増補版1978)、『犯罪論の新構造 上・下』(1966、1968)などがある。

[名和鐵郎]

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関連語 争い 学位 学歴

20世紀日本人名事典 「木村亀二」の解説

木村 亀二
キムラ カメジ

大正・昭和期の刑法学者 東北大学名誉教授;日本刑法学会理事長。



生年
明治30(1897)年11月5日

没年
昭和47(1972)年3月15日

出生地
兵庫県姫路市

学歴〔年〕
東京帝大法学部〔大正10年〕卒

学位〔年〕
法学博士

経歴
大正10年東大助手として牧野英一の下で刑法専攻。11年法政大学講師、英、仏、独に留学後、15年九州大学教授として法理学を担当。昭和4年法大教授を経て11年から東北大教授となり刑法、刑事政策を講じた。この間、仙台地労委の公益委員を務めた。37年に定年退職以後、明大、駒沢大各教授を歴任。日本刑法学会理事長、日本学術会議会員、学士院会員を歴任した。著書に「刑法総論」「犯罪論の新構造」など。またエッセー集「法と民族」「断頭台の運命」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「木村亀二」の解説

木村亀二 きむら-かめじ

1897-1972 大正-昭和時代の法学者。
明治30年11月5日生まれ。九州帝大,法大の教授をへて,昭和11年東北帝大教授。のち明大,駒沢(こまざわ)大の教授。新派刑法学を代表する学者として,師の牧野英一とともに活躍した。学士院会員。昭和47年3月15日死去。74歳。兵庫県出身。東京帝大卒。著作に「刑法総論」「犯罪論の新構造」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「木村亀二」の解説

木村 亀二 (きむら かめじ)

生年月日:1897年11月5日
大正時代;昭和時代の法学者。東北大学教授;日本刑法学会理事長
1972年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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