明治〜昭和期の刑法学者 東京帝国大学名誉教授;貴院議員。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
刑法学者。明治11年岐阜県高山市に生まれる。1903年(明治36)東京帝国大学仏法科を卒業後、判事、検事を経て、同大学講師、助教授から13年(大正2)に教授となり、38年(昭和13)まで刑法講座を担当した。1910年(明治43)から3年間、ドイツ、イギリス、イタリアなどに留学し、とくにドイツのベルリン大学で新派刑法学のF・リストに学び、大きな影響を受けた。その後、リストに代表される新派刑法学(近代学派、実証学派)の刑法思想や刑法理論を広くわが国に紹介するとともに、自らも新派の実証主義を基調とする刑法理論や刑事政策論を全面的に展開した。彼は犯罪者(人間)の自由意思を否定し、犯罪は犯罪者の素質と環境の産物であると解する立場から、旧派の形而上(けいじじょう)学的な道義的責任論や応報刑論を批判して社会的責任論や教育刑論を主張した。全20巻の『刑法研究』(1918~67)をはじめ、『刑法総論』全訂版上下(1958、59)、『法理学』1巻・2巻上下(1949~52)など著書は非常に多い。36年(昭和11)学士院会員、46年貴族院議員、50年文化勲章受章。昭和45年4月18日死去。
[名和鐵郎]
刑法学者。飛驒高山に生まれる。1903年東京帝国大学卒業。07年同大学助教授,10年より13年までヨーロッパに留学し,F.vonリスト,E.フェリに師事,13年教授となる。38年定年退官。1936年学士院会員,46年貴族院議員,50年文化勲章受章。日本に新派刑法学の主張を持ち込み,〈学派の争い〉においては新派の闘将として論陣を張った。その特徴は主観主義的刑法理論と教育刑論にある。刑事責任の基本は犯罪反復のおそれ,行為者の性格の危険性にあると考え,犯罪を犯人の悪性の徴表であるとし,これに対して社会は防衛の方法を講ずべきであるとした。その一手段としての刑罰の目的は応報にあるのではなく,教育に,すなわち犯人の人格をして再び社会生活に適応させる点にあると主張した。
執筆者:堀内 捷三
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…日本では,現行刑法が新派の影響をもかなり強く受けて成立したこともあって,新派が旧派に先行して有力に主張された点に特色があった。新派を代表したのは牧野英一であった。牧野は,目的刑論,とくに教育刑論と主観主義犯罪論を強く主張した。…
※「牧野英一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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