木村忠太(読み)キムラ チュウタ

20世紀日本人名事典 「木村忠太」の解説

木村 忠太
キムラ チュウタ

昭和期の洋画家



生年
大正6(1917)年2月25日

没年
昭和62(1987)年7月3日

出生地
香川県高松市

学歴〔年〕
香川県立工芸学校中退

主な受賞名〔年〕
長谷川仁賞(第2回)〔昭和53年〕

経歴
昭和5年香川県立工芸学校に入学するが、病気のため中退し、闘病生活のなかで絵を描き始める。11年上京し洋画を学ぶ。23年から34年まで独立美術協会会員。ボナールに傾倒して28年1月、38歳で渡仏、以来パリ定住。48歳で思想家ジャン・グルニエ教授に認められ、45年サロン・ドートンヌ会員となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「木村忠太」の意味・わかりやすい解説

木村忠太
きむらちゅうた
(1917―1987)

画家。高松市生まれ。1936年(昭和11)画家を志して上京し、翌年独立美術展に初入選。帝国美術学校に学ぶが、前後二度召集を受ける。第二次世界大戦後の48年に独立美術協会会員となり(59年退会)、53年パリに赴き、以後没すまでフランスに在住した。色面と線描具象抽象、日本と西洋を統合する独自の作風を築く。70年サロン・ドートンヌ会員となり、前年の出品作『ル・クロ・サン・ピエールの家』はフランス政府買上げとなった。パリほかと日本でたびたび個展を開く。

[小倉忠夫]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「木村忠太」の意味・わかりやすい解説

木村忠太【きむらちゅうた】

画家。高松市生れ。香川県立工芸学校中退。1937年独立美術協会展に入選。1853年渡仏,以後パリに永住し制作。南仏の風景等をぎりぎりの具象ともいえる形象と明るい色彩で描いた。1966年日本で初個展。1970年サロン・ドートンヌ会員。代表作に《ヴァローリスのオリーブの木》などがある。1994年東京国立近代美術館で回顧展

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「木村忠太」の解説

木村忠太 きむら-ちゅうた

1917-1987 昭和時代の洋画家。
大正6年2月25日生まれ。郷里香川県の工芸学校を中退,昭和11年上京。17年独立賞。23年独立美術協会会員。28年からパリに定住し,「魂の印象派」と称する独自の画風をきずき,59年フランス芸術文化賞をうけた。サロン-ドートンヌ会員。昭和62年7月3日死去。70歳。作品に「ヴァローリスのオリーブの木」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「木村忠太」の解説

木村 忠太 (きむら ちゅうた)

生年月日:1917年2月25日
昭和時代の洋画家
1987年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android