サン・ピエール(読み)さんぴえーる(英語表記)Abbè de Saint-Pierre

日本大百科全書(ニッポニカ) 「サン・ピエール」の意味・わかりやすい解説

サン・ピエール
さんぴえーる
Abbè de Saint-Pierre
(1658―1743)

フランス聖職者政治思想家。1695年にはティロンの修道院長になり、アカデミーの会員に推薦される。1712年枢機卿(すうききょう/すうきけい)ポリニャックに随行してユトレヒト平和会議出席、そのときの体験をもとに『永久平和の草案』3巻(1713~1717)を書く。自然法だけでなく実定法たる国際法によって列国君主による国際平和機構の設立、国際裁判所の設置、国際軍の設立、戦争放棄などを主張し、ルソーカントなどの平和思想に大きな影響を与えた。1718年に『ポリシノディ』(多元的会議制論)を著し、ルイ14世の専制政治を批判し、貴族らからなる多元的会議制による啓蒙(けいもう)専制統治を主張したためアカデミーを除名された。

田中 浩]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サン・ピエール」の意味・わかりやすい解説

サンピエール
Saint-Pierre

西インド諸島東部,ウィンドワード諸島北部,マルティニーク島北西岸にある港町。フランス海外県マルティニークに属し,県都フォールドフランスの北西約 20kmに位置する。 1635年フランス人が建設し,同島の商業中心地として発展したが,1902年5月8日,背後にあるプレー山噴火により全壊死者は約3万人に上り,生存者は地下独房に入れられていた囚人1人だけであったといわれる。その後一部再建されたが,多くは廃虚のまま残されている。現在は製糖工場,火山博物館,地学研究所がある。人口 5007 (1990推計) 。

サン=ピエール
Saint-Pierre, Charles Irénée Castel, abbé de

[生]1658.2.13. サンピエールエグリーズ
[没]1743.4.29. パリ
フランスの著述家。政治を論じたサロン中二階クラブ」の中心人物。その『永久平和論』 Le Projet de paix perpétuelle (3巻,1713) において,フランスを中心にしたヨーロッパの国際的平和組織を考察し,『複議会』 Discours sur la polysynodie (18) で,大臣の代りに,選挙された顧問で構成される会議を設置する必要を力説して,ルイ 14世の政治を批判した。

サン=ピエール

「ベルナルダン・ド・サン=ピエール」のページをご覧ください。

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