本佐倉城跡(読み)もとさくらじようあと

日本歴史地名大系 「本佐倉城跡」の解説

本佐倉城跡
もとさくらじようあと

[現在地名]酒々井町本佐倉など

印旛沼南岸に接する標高三三メートルの台地上に位置する。戦国時代に千葉宗家の居城であった。周辺は近年開発が進み大きく変貌しているが、城跡は往時の形態をよくとどめている。最近、城跡の全体測量と遺構確認のための発掘調査が実施された。城跡は舌状台地全域とそれにつながる台地基部端にわたり、八ヵ所の郭から構成される。東西六七〇メートル・南北五〇〇メートルの規模を有し、下総では最大規模とされる。城跡内には城山しろやまおくやま倉跡くらあと東山ひがしやま馬場ばば荒上あらうえなどの地名が残り、城山東端の郭にあたり本丸に相当する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「本佐倉城跡」の解説

もとさくらじょうあと【本佐倉城跡】


千葉県印旛(いんば)郡酒々井(しすい)町本佐倉、佐倉市大佐倉にまたがる城跡。印旛沼を望む標高約30mの台地に築かれ、現在は水田に取り囲まれているが、内郭群と外郭群に分かれた城域は東西約700m、南北約800mの規模をもつ。馬場、虎口、空堀、土塁、櫓(やぐら)跡などが良好に残り、内郭では大型の掘立柱建物跡が2棟発見され、主殿や会所と推定されている。文明年間(1469~87年)に下総国を平定した千葉輔胤(すけたね)が築城したとされ、以後9代にわたって千葉氏の居城であったが、往時は、佐倉、酒々井、鹿島、浜宿の4つの城下町があった。1590年(天正18)、豊臣秀吉小田原攻めによって千葉氏が改易されると、徳川氏に接収され、その後は佐倉藩の藩庁が置かれた。1998年(平成10)に千葉県の城跡としては初の国指定史跡になった。京成電鉄京成本線大佐倉駅から徒歩約10分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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