熊野参詣道(読み)くまのさんけいみち

国指定史跡ガイド 「熊野参詣道」の解説

くまのさんけいみち【熊野参詣道】


和歌山県伊都郡高野町・新宮市ほか、三重県北牟婁(きたむろ)郡紀北町ほか、奈良県吉野郡十津川村ほかにまたがる参詣道。指定名称は「熊野参詣道 中辺路(なかへち) 大辺路(おおへち) 小辺路(こへち) 伊勢路(いせじ) 熊野川(くまのがわ) 七里御浜(しちりみはま) 花の窟(はなのいわや)」。古代末期から近世、近代にいたるまで、皇族・貴族のみならず一般庶民や病苦民衆までが、熊野本宮大社をはじめとする熊野三山への信仰憧憬によって歩んだ古道で、わが国の歴史や社会・文化を知るうえで欠くことのできない貴重な交通遺跡とされ、2000年(平成12)に国の史跡に指定された。中世において最も利用されたのは中辺路で、京から南下してきた熊野参詣道は、田辺で海沿いを行く大辺路と分かれ、山間を縫って熊野本宮をめざした。中辺路沿いには九十九王子と呼ばれた多くの祠が整備され、現在も数十の王子跡が残る。院政期には多数の参詣者が通行したが、とくに上皇の参詣が多く、後白河上皇34回、後鳥羽上皇28回、鳥羽上皇21回、白河上皇9回、女院も待賢門院が13回を重ねている。当時の参詣の様子は、藤原為房の『為房卿記』、藤原宗忠の『中右記』、藤原定家の『後鳥羽院熊野御幸記』など多くの貴族の日記、記録に詳細に綴られているが、本宮参詣ののちは熊野川を川下りして新宮(速玉大社)を参詣し、そののち七里御浜の海岸沿いに浜の宮にいたり、再び内陸に入り那智大社に参詣した。高野山と熊野三山を結ぶ小辺路、伊勢神宮からの伊勢路、道筋にあってイザナギの葬地という伝承をもち、人々の信仰を集めた花の窟、参詣道の一部として使われた七里御浜と熊野川もあわせて史跡に指定された。2004年(平成16)には「紀伊山地霊場と参詣道」として、世界遺産に登録された。中辺路の近露王子へは、JR紀勢本線紀伊田辺駅から龍神バス「近露王子」下車、徒歩すぐ。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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