本証寺(読み)ほんしようじ

日本歴史地名大系 「本証寺」の解説

本証寺
ほんしようじ

[現在地名]安城市野寺町 野寺

雲竜山と号し、真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。野寺のでら本坊の通称で知られ、三河三ヵ寺の筆頭。寺伝によると、開基は慶円で、下野国小山おやま(現小山市)城主小山判官朝政の次男靭負佐兼光のことという。天台の教えを受け性空と称し、正治二年(一二〇〇)幡豆はず小島おじま(現西尾市)醍醐だいご山の麓に一宇を建て、建永元年(一二〇六)の夏一度小山に帰郷、翌二年親鸞の教化を受け真宗に転じ慶円と改称、親鸞の命により本証寺を草創、その後しだいに寺勢を伸ばし、七代空円に至って三河における本願寺教団の重要な支えとなる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「本証寺」の意味・わかりやすい解説

本証寺 (ほんしょうじ)

愛知県安城市野寺町にある真宗大谷派の寺。三河三ヵ寺の一つで,山号は雲竜山。開基慶円(きようえん)は下野小山(おやま)氏出身の天台僧であったが,三河で親鸞に帰依したと伝える。鎌倉末期の《善光寺如来絵伝》《聖徳太子絵伝》(いずれも重要文化財)や,文和4年(1355)の奥書のある《教行信証延書》2冊を蔵しており,開創の古さを裏づける。7代空円のときに蓮如に帰依し,三河本願寺派の中心となった。1549年(天文18)の門徒連判状に武士門徒115名が署名していることは有名で,このような本証寺門徒団の性格は,これら土着武士団を家臣団に組織しようとする徳川家康との対立を生んで,1563年(永禄6)に始まる三河一向一揆となった。この結果追放されて加茂郡足助(あすけ)に移り,1585年(天正13)に至って家康の再興許可状を得て旧地に再建された。近世には寺領69石余を与えられた。また全国200余に及ぶ末寺を擁していた。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

今日のキーワード

大臣政務官

各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...

大臣政務官の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android