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朱自清 しゅじせいZhu Zi-qing

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

朱自清
しゅじせい
Zhu Zi-qing

[生]光緒24(1898).11.22.
[没]1948.8.12.
中国の詩人,評論家。江蘇省東海県の人。 1920年北京大学哲学科卒業。各地で教壇に立ちながら詩作を続け,23年『小説月報』に発表した『毀滅 (きめつ) 』が兪平伯に認められ,翌年詩集『蹤跡』を出版。 25年胡適の紹介で清華大学に移り,この頃から散文の創作と古典文学研究に努め,28年詩文集『背影』で名を高め,35年『中国新文学大系』の詩集編集にあたった。抗日戦争中,昆明の西南連合大学で教えたが,戦後は北京に戻り,テロに倒れた聞一多の全集編集中病死した。『欧遊雑記』 (1934) ,古典文学研究の成果『詩言志弁』 (47) ,評論集『標準と尺度』 (48) などの著書がある。

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デジタル大辞泉の解説

しゅ‐じせい【朱自清】

[1898~1948]中国の詩人・散文作家。清華大教授。本名、朱自華。江蘇(こうそ)省の人。長詩「毀滅(きめつ)」で広く知られる。のち、散文や中国古典文学の研究に転じた。詩集「踪跡」、散文「背影」など。チュー=ツーチン。

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百科事典マイペディアの解説

朱自清【しゅじせい】

中国の作家。五・四運動前後から口語詩を創作,長詩《毀滅》は中国近代詩の代表作の一つとされる。のち散文,文学史研究に多くの業績をあげた。

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世界大百科事典 第2版の解説

しゅじせい【朱自清 Zhū Zì qīng】

1898‐1948
中国の作家,古典文学研究者。字は佩弦(はいげん)。江蘇省東海県の出身。文学研究会会員。北京大学哲学科を卒業後,少年期の期待と不安に動揺する自我をうたった長詩〈毀滅〉(1922)で詩人として出発,のち〈踪迹〉(1924),〈背影〉(1928)等を出し散文作家としての地位を確立。それらは清新な感覚をもち詩意ある散文として現在も鑑賞にたえうる。清華大学で教鞭をとりつつ古典文学,主に中国旧詩の研究に従事。抗日戦,国共内戦期を通じて良心的知識人の立場を貫いた。

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大辞林 第三版の解説

しゅじせい【朱自清】

1898~1948) 中国の詩人・散文家。本名、朱自華。揚州に育つ。清新明快でヒューマニスティックな詩風で五・四新文学運動後の北京詩壇で活動。詩文集「蹤跡」「背影」など。チュー=ツーチン。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

朱自清
しゅじせい / チューツーチン
(1898―1948)

中国現代の詩人、散文作家、学者。字(あざな)は佩弦(はいげん)。江蘇(こうそ/チヤンスー)省東海県に生まれたが、幼いときに一家が揚州(ようしゅう/ヤンチョウ)(江蘇省)に移ったため、自らは揚州の人という。1920年、北京(ペキン)大学哲学系を卒業したあと、江蘇・浙江(せっこう/チョーチヤン)の各地で教員生活を送り、25年、北京清華大学の教授に着任した。抗日戦争中は清華大学の南遷に伴い、昆明(こんめい/クンミン)(雲南(うんなん/ユンナン)省)の西南聯合(れんごう)大学に移り、46年に北京に帰って48年病没した。北京大学在学中から現代詩の創作を始め、長詩「毀滅(きめつ)」で名を知られたが、清華大学教授に就任後は散文の創作と中国古典文学の研究に転じ、数多くの著述がある。詩集『蹤跡(しょうせき)』(1924)、散文集『背景(はいえい)』(1928)のほか、著述の大部分は『朱自清文集』4冊(1953)にまとめられている。[佐藤 保]

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