兪平伯(読み)ユヘイハク

デジタル大辞泉 「兪平伯」の意味・読み・例文・類語

ゆ‐へいはく【兪平伯】

[1899~1990]中国詩人学者浙江せっこう徳清の人。本名、兪銘衡。新文学運動の草創期の詩人で、詩集に「冬夜」などがある。のち、主として古典文学の考証批評専心。「紅楼夢研究は特に有名。1950年代、紅楼夢論争で批判を受けた。ユィ=ピンポー。

ユィ‐ピンポー【兪平伯】

ゆへいはく(兪平伯)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「兪平伯」の意味・わかりやすい解説

兪平伯
ゆへいはく
Yu Ping-bo

[生]光緒26(1900).1.8. 浙江,徳清
[没]1990.10.15. 北京
中国の文学者。浙江省徳清県の人。兪 樾 (ゆえつ) の孫。 1919年北京大学卒業。初め詩人として出発,のち散文作家として活躍し,さらに古典研究にも力を注いだ。『紅楼夢』の研究を続けていたが,1954年その研究方法李希凡らによって批判されたことがきっかけとなり,「紅楼夢論争」と呼ばれる大きな思想運動が巻き起こった。主著『紅楼夢弁』 (1923年刊,1952年に『紅楼夢研究』と改題) ,『紅楼夢八十回校本』 (1958) ,詩集『冬夜』 (1922) ,『西還』 (1924) ,『憶』 (1925) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「兪平伯」の意味・わかりやすい解説

兪平伯
ゆへいはく / ユーピンポー
(1899―1990)

中国の詩人、散文作家、文学史家。浙江(せっこう)省徳清の人。高名な考証学者兪樾(ゆえつ)の孫。北京(ペキン)大学在学中に文学革命の洗礼を受け、口語自由詩の草創に大きな貢献を果たした。のち周作人(しゅうさくじん)の影響下で散文小品にも独特の境地を拓(ひら)き、さらに北京の諸大学で教壇に立ちながら古典文学の考証、批評に転じ、詩作も旧体詩詞に限るようになった。旧文人風の趣味素養と近代的知性が微妙につり合ったきわめて高踏的なスタイルの持ち主である。詩集『冬夜』(1922)、散文集『雑拌児(よせあつめ)』(1933)、評釈『読詞偶得』(1934)などの著作がある。文学史家としては『紅楼夢(こうろうむ)』研究に打ち込み、人民共和国では科学院文学研究所に在籍した。

[木山英雄]

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百科事典マイペディア 「兪平伯」の意味・わかりやすい解説

兪平伯【ゆへいはく】

中国の詩人,古典文学者。近代文学初期に抒情詩人として知られたが,のち随筆や古典研究に転じ,特にと《紅楼夢》研究で有名。1954年には彼の《紅楼夢》研究の方法に対する批判から,古典研究分野のブルジョア思想批判運動が起こった。

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世界大百科事典(旧版)内の兪平伯の言及

【《紅楼夢研究》批判】より

…批判論文を採用するかどうかの手続問題から,馮雪峰(ふうせつぽう)らの《文芸報》編集部自己批判をも引きおこした。胡適の《紅楼夢考証》(新紅学)の系統を継ぐ兪平伯(ゆへいはく)は《紅楼夢研究》《紅楼夢簡論》などで,《紅楼夢》を色即是空を表す観念小説で,作者曹雪芹の嘆きの自伝とみなした。山東大学を卒業したばかりの李希凡,藍翎(らんれい)は,〈《紅楼夢簡論》およびその他について〉を書き,兪平伯はリアリズムの批判原則を離れ,明確な階級的観点を離れていると批判し,《紅楼夢》を当時の封建社会に対する反抗の書とし文学の分析に“人民性”を導入した。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」