杉本健吉(読み)すぎもとけんきち

日本大百科全書(ニッポニカ) 「杉本健吉」の意味・わかりやすい解説

杉本健吉
すぎもとけんきち
(1905―2004)

洋画家。明治38年9月20日名古屋市に生まれる。愛知県立工業学校図案科を卒業ののち、洋画家を志して岸田劉生(りゅうせい)に師事。国画会に出品し、1938年(昭和13)同人となる(1971退会)。42年文展で特選、翌年佐分(さぶり)賞、46年日展で特選を受ける。48年(昭和23)奈良風景を題材とした画業により第1回中日文化賞を受ける。また吉川英治作『新・平家物語』ほかの小説の挿絵の分野で活躍を始める。62年インド、中近東を経てヨーロッパ巡遊。以後中国、韓国、ヨーロッパ各地ほかへたびたびスケッチ旅行をしている。87年杉本美術館(愛知県知多(ちた)郡美浜(みはま)町)開館。94年(平成6)愛知県美術館で「杉本健吉展――画業70年のあゆみ」が開催された。平成16年2月10日死去。

[小倉忠夫・柳沢秀行]

『『新平家・画帖』上下(1956、58・朝日新聞社)』『『修二絵画帖』(1958・美術出版社)』『『墨絵奈良』(1960・角川書店)』『『画帖私本太平記』(1963・毎日新聞社)』『『画帖新水滸伝』(1963・講談社)』『『幻想奈良』(1967・求龍堂)』『『新平家物語』『杉本健吉奈良作品集 油絵・墨絵』(1970・杉本健吉画集刊行会)』『『墨彩大和』(1975・求龍堂)』『『海外スケッチ』(1976・求龍堂)』『『杉本健吉作品集』(1976・駸々堂出版)』『『墨絵奈良』(1979・求龍堂)』『『杉本健吉素描集』(1981・朝日新聞社)』『『聖徳太子御絵伝――四天王寺絵堂障壁画』(1983・総本山四天王寺)』『『秘苑 杉本健吉画集』(1985・求龍堂)』『愛知県美術館編・刊『杉本健吉展――画業70年のあゆみ』(1994)』

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20世紀日本人名事典 「杉本健吉」の解説

杉本 健吉
スギモト ケンキチ

昭和・平成期の洋画家



生年
明治38(1905)年9月20日

没年
平成16(2004)年2月10日

出生地
愛知県名古屋市矢場町

学歴〔年〕
愛知県立工業学校図案科〔大正12年〕卒

主な受賞名〔年〕
国展国画奨励賞〔昭和12年〕「宇奈月雪渓」,文展特選〔昭和17年〕,佐分賞(第7回)〔昭和18年〕,日展特選(第2回)〔昭和21年〕「博物館彫刻室」,中日文化賞(第1回)〔昭和23年〕

経歴
大正14年20歳で岸田劉生に師事。15年春陽会展、昭和6年国画会展に初入選。13年国画会同人。17年文展特選、21年日展特選。46年国画会を脱退。25年から7年間、「週刊朝日」連載の吉川英治作「新・平家物語」の挿絵を担当、高い評価を得、以後「私本太平記」「新・水滸伝」などの吉川作品の挿絵を手がけた。58年大阪四天王寺に6年がかりで制作した障壁画「聖徳太子御絵伝」が完成。平成5年中国で「日本画家・杉本健吉画展」、6年愛知県美術館で「画業70年の歩み 杉本健吉展」が開催された。奈良の風物を愛し、“生涯アトリエ”として通い詰め、数多くの風景素描画を残した。また画商中心とした絵の流通機構に反発し、「新・平家画帖」「墨絵奈良」「海外スケッチ」など主に画集を作品発表の舞台とした。代表作に「春日野」「墨絵奈良」「花精文 双盤」などがある。昭和52年名古屋のヒマラヤ美術館に杉本展示室が常設される。62年愛知県知多郡美浜町の景勝地に杉本美術館が開設された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「杉本健吉」の解説

杉本健吉 すぎもと-けんきち

1905-2004 昭和-平成時代の洋画家。
明治38年9月20日生まれ。岸田劉生に師事。昭和6年から46年まで国画会展に出品。17年新文展「博物館中央」で特選,18年佐分(さぶり)賞。21年日展「博物館彫刻室」で特選。また挿絵画家として,吉川英治作「新平家物語」など数おおく手がけた。62年愛知県に杉本美術館が開館。平成16年2月10日死去。98歳。愛知県出身。愛知県立工業卒。

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367日誕生日大事典 「杉本健吉」の解説

杉本 健吉 (すぎもと けんきち)

生年月日:1905年9月20日
昭和時代;平成時代の洋画家
2004年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報