日本大百科全書(ニッポニカ) 「李禹煥」の意味・わかりやすい解説
李禹煥
りうふぁん / イウファン
(1936― )
韓国で生まれ日本で活動する画家、美術家。慶尚南道(けいしょうなんどう/キョンサンナムド)生まれ。1956年(昭和31)ソウル大学校美術大学を中退し、来日した。1961年日本大学文理学部哲学科を卒業。在学中よりニーチェやフッサール、ハイデッガーなどの西欧近代哲学を学び、同時に絵画を描いていた。1960年に初の個展(中央画廊、東京)を行い、1968年に「韓国現代絵画展」(東京国立近代美術館)に出品。1969年の美術出版社芸術評論賞募集で、論文「事物から存在へ」が入賞し、同年に「現代美術の動向」展(京都国立近代美術館)とサン・パウロ・ビエンナーレに参加した。この時期の「関係項」と名づけられたシリーズ作品の特徴は、鉄板にガラス板を載せ、その上に石を置くことで、物と物の関係性を喚起させるものである。表現にあたって先行するイメージを設定してそれを再現するという方法を止め、その場における観念と現実の分裂を「状態」として示している。このように素材の生の物質的な表情をあらわにし、物の実在性を関係のなかに置き直すという、1960年代末から1970年代初頭における李をはじめとした一連の作家たちによる表現傾向は、後に「もの派」(李、菅木志雄(すがきしお)、関根伸夫、吉田克朗(かつろう)(1943―1999)、小清水漸(こしみずすすむ)(1944― )、成田克彦(1944―1992)ら)と呼ばれた。これは1960年代末の「アンチ・フォーム」(アメリカ)、「アルテ・ポーベラ」(イタリア)、「シュポール/シュルファス」(フランス)といった同時代美術の表現コンセプトと通底しており、その美術作品を成立させる物質と概念との関係を問う流れと、世界的な共通性をもった。
「関係項」シリーズは、さらに油や布、ロープや綿、電球などを使用した。絵画的な平面作品では、木の板の表面をのみで刻んだり、筆と岩絵具でカンバスに点を打ったり、また反復しながら線を引いていく作品がつくられた。それらは1970年代以降に「〈刻み〉より」「点より」「線より」のシリーズとして展開するが、いずれも、空間と知覚のずれや不確定性を示している点で一貫している。1971年パリ青年ビエンナーレ、1973年サン・パウロ・ビエンナーレ、1975年インド・トリエンナーレ(ニューデリー)、1977年ドクメンタ6(カッセル、ドイツ)、1986年「前衛芸術の日本 1910―1970」展(ポンピドー・センター)など、多数の美術展に参加している。
[高島直之]