日本大百科全書(ニッポニカ) 「関根伸夫」の意味・わかりやすい解説
関根伸夫
せきねのぶお
(1942―2019)
彫刻家、環境美術家。埼玉県生まれ。1962年(昭和37)多摩美術大学油絵科入学。大学3年の時に斎藤義重(よししげ)が教授に就任すると同時に師事する。同大学院油画研究科に進み、美術とは空間のとらえ方であるという理解から、「位相幾何学」に傾倒する。1968年大学院修了。同年5月、「毎日現代展」平面絵画の部にレリーフ状の半立体作品『位相』を出品し、手違いで立体彫刻の部門に区分され受賞する。この結果「彫刻家」として招待され、第1回神戸須磨離宮公園「現代日本野外彫刻展」に、円筒形の穴を掘りその脇に土を同寸の円筒形に固めただけの作品『位相―大地』(朝日新聞社賞受賞)を出品する。同作は、後に「もの派」と命名される潮流の始まりとなった作品で、関根個人の代表作であると同時に、1960~1970年代の日本アート・シーンを検証する際の一つの参照点として日本現代美術史上における記念碑的作品となった。1968年11月にはスポンジを円筒状にしてそれに重い鉄板をのせた『位相―スポンジ』を第5回長岡現代美術館賞展に出品し大賞を受賞する。華々しいデビューを果たした翌1969年には「空相」シリーズ『空相―油土』『空相』『空相―水』を発表する。
1970年には第35回ベネチア・ビエンナーレに鏡面ステンレス柱に16トンの自然石を載せた『空相』を出品し大きな成功を収めた。ビエンナーレ参加後、ヨーロッパ滞在中にコペンハーゲンのルイジアナ美術館ゲスト・ハウスで制作をしたことが縁で1977年に『空相』は同館に移築され、それを記念し同館ほか北欧3館を巡回する個展が1978年から1979年にかけて開催された。
ビエンナーレ参加後1971年12月までヨーロッパに滞在しドローイング作品を発表しながら各都市を巡り、アートと街が融合する「理想郷」をヨーロッパの都市で目にした関根は、日本における今後のアートの可能性を確信し帰国。社会と街とアートを結ぶ「環境美術」を提唱し、その実践のために「環境美術研究所」を1973年に設立する。「位相」の概念をアートに転用することで新しい世界に出会った関根は、環境美術におけるパイオニアとしての顔をもつことになる。都立砧(きぬた)公園(1986、東京・世田谷)や東京都庁舎シティーホール(1991)など「環境美術」作品の実作事例はおもなものだけで200近くある。
金字塔的作品『位相―大地』で日本美術史にその名を刻む関根は、1987年に『位相絵画』を発表する。高松次郎との接点を色濃く示しながらも独自性を模索していた「転位シリーズ」(1967、第11回シェル美術賞展佳作賞受賞)から20年後の1987年、画面に穴のあいたモノクロームのフォンタナ風の作品『位相絵画』を発表し、国内数十か所で個展を開催。このシリーズは、画面をひっかき、破り、貼るという行為を、総量としての「表面」が増えも減りもしないように1枚の画面の中で完結させ、金箔、黒鉛で封印するもので、『位相―大地』を平面に置き換えた関根独自の世界観を表出する絵画法であった。
[森 司]
『「〈環境美術〉なるもの 関根伸夫展」(カタログ。2003・川越市立美術館)』