村田治郎(読み)ムラタ ジロウ

20世紀日本人名事典 「村田治郎」の解説

村田 治郎
ムラタ ジロウ

昭和期の東洋史学者 京都大学名誉教授;(財)建築研究協会理事長。



生年
明治28(1895)年9月23日

没年
昭和60(1985)年9月22日

出生地
山口県大島郡橘

学歴〔年〕
京都帝国大学工学部建築学科〔大正12年〕卒

学位〔年〕
工学博士(京都帝大)〔昭和7年〕

主な受賞名〔年〕
日本学士院賞〔昭和34年〕,勲二等瑞宝章〔昭和41年〕

経歴
大正13年満鉄入社。昭和12年京都帝大工学部教授となり、33年名誉教授。37〜46年国立明石工業専門学校校長。この間、文化財専門審議会専門委員、日本建築学会副会長、京都市埋蔵文化財研究所理事長など歴任。東洋建築史学の第一人者戦前、北京郊外の要衡の地・居庸関を建築、考古、言語、美術などの調査団を組織して共同研究。戦後出た報告書「居庸関」で34年日本学士院賞、41年勲二等瑞宝章を受章法隆寺金閣寺などの再建にも携わった。著書に「法隆寺の研究史」「法隆寺」、「村田治郎著作集」(全3巻 中央公論美術出版)など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「村田治郎」の意味・わかりやすい解説

村田治郎
むらたじろう

[生]1895.9.23. 山口
[没]1985.9.22. 東京
建築史家。 1923年京都帝国大学建築学科卒業。 24年南満州鉄道会社入社。南満州工業専門学校教授として建築史,建築意匠を担当。この間旧満鉄沿線の歴史的建築遺構の調査,朝鮮の民家研究に努め,アジアにおける住居の発生と展開,中国大陸を中心とする住居形式の地域的交渉変遷を論じた『東洋建築史系統史論』 (1931) を発表。 37年に京都帝国大学教授に就任。中国建築の調査研究を続行し,『支那建築の研究』 (41) を著わす。さらに日本と中国の建築文化の交流を研究,法隆寺研究に新たな局面を開き,同寺金堂の火災後修理を指導するなどして 49年に名著『法隆寺研究史』を発表した。日本,朝鮮,中国,インドイスラムの建築に関する広範な研究で東洋建築史の分野に多大な功績を残している。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「村田治郎」の解説

村田治郎 むらた-じろう

1895-1985 昭和時代の東洋史学者。
明治28年9月23日生まれ。東洋建築史を専攻する。昭和12年母校京都帝大の教授。戦前,調査団を組織して北京郊外の居庸関(きょようかん)を総合的に研究し,32年までに報告書をまとめる。34年共同研究「居庸関」で学士院賞。法隆寺,金閣寺の再建にもたずさわった。昭和60年9月22日死去。89歳。福島県出身。著作に「法隆寺の研究史」など。

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